前回
2017.11.5
まぁ・・旧街道見物していると
色々と不可解なものを観ることが出来るね 

茂田井の間の宿、芦田宿と自然な侭の旧街道が、
こんな日本の原風景が、イイんだなぁ 

動画編
タイムライン




元々は長窪宿と表記していた・
久しく保つの意味の「久保」に縁起をかついだらしい 


難所に挟まれた宿場だったので、比較的大きな宿場


宿場の発展と共に町並みが横丁の先に広がり、
カギ型に曲がった珍しい形の宿場町 



明治2年10月まで使用された「縮限通貨」を六百二十四分、百分、四十八分、二十四分の4種類を発行し利用した 




長久保城祉に上る道案内があり、石仏めぐり

「旧中山道は斜め斜面に道があった」と表示されている(標高900m)
雁取峠とも呼ばれた







松並木は小諸藩が幕府から下付された七百五十三本の松を領民とともに峠道
約十五町(約1.6km)にわたって植樹した


銀明水と金明水という立て札があったが、水は出ていない 


このことから北佐久地域では最古の宿場とも云われています





かつての 旅籠等も残されて 昔の町並みの面影が いたる所にある


ノンさんお気に入りのモニュメント 


既に廃業されているのに屋号代わりに吊るされた大きな下駄に(゚Д゚;)

間の宿も整っていて素晴らしい 茂田井 


茂田井村は「間の宿」と呼ばれ、旅籠を持たない休息処
これは幕府による本宿保護のために出した禁令によって、
本宿以外での宿泊を取り締まったためです 


澄んだ水が流れる用水路に沿って続く

白壁の堂々たる構えの造り酒屋が2軒

坂に沿って 江戸時代の面影の残るいい旧街道だ
さて 朝廷の牧場・・とは? 

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