ヤッパリ・・「不忍池」を行きます
いつ来ても不思議に思うのは、
海鳥のカモメ達と渡り鳥が、ハトや雀達との仲の良さです
多い時には1万羽を超えるときもあるそうですよ
まぁ・・流石にカラスは、遠くで鳴いてますがね。
カワウの繁殖地は日本でも数か所で、
都会にあるのは世界中でもここだけだそうです
昨年の記事
蓮 池
江戸時代より浮世絵に描かれるほどのハスの名所だった
のが不忍池。ところが、戦時中に食糧難のため、
池を埋めたてて水田にしてしまう。たが、戦後、
不忍池の復旧作業がはじまり、昭和30年代になって
ようやく復活。以後、毎年花を咲かせ、
都内でもハスの名所として復活し、
夏の風物詩として多くの人に親しまれようになった。
文学作品
毎年夏になると池の南部はほぼ埋め尽くされる状況で、
江戸時代には色とりどりの花のハスが植えられていたが、
現在では桃色のジバスと白の明鏡蓮との二系統だけである。
海ぞいの低地へと注ぎ出ていた開口部だったそうな
その後海岸線の後退とともに取り残されて、
紀元数世紀頃に池になったと考えられるんだって。
石橋が架けられ徒歩で渡れるようになったそうな。
更に
観月橋がかけられ、池の中央を横断できるようになった
石 碑
(時計周りの配置順)。
名前の由来
忍ヶ丘と呼ばれていたことに由来するとのこと。
ただし、異説もあり、周囲に笹が多く茂っていたことから
篠輪津(しのわづ)が転じて不忍になったという説
(『新編武蔵風土記稿』『神代余波』)
ここで男女が忍んで逢っていたからという説
(『望海毎談』)や、上野台地が忍が岡と呼ばれていた
『江戸妙子』『江戸名所図絵』。
15世紀頃「不忍池」という名で呼ばれていたらしい。
後ろ側の池は、「鵜の池」
チョイト面白い話
幾多の伽藍を焼き払われて落城する。
戊辰の役における江戸で唯一の戦争だった。この朝、官軍が放った
一発の砲弾が不忍池におちて水しぶきをあげ、
これが戦端開始だったという説があるそうだ。
もう一つ