前回
「鉄門」を出るとそこは、
上野不忍池に向かって下るひっそりとした坂道
ヤッパリ・口ずさむのは、この曲だろうね
母がまだ若い頃 僕の手をひいて
この坂を登るたび いつもため息をついた
ため息つけば それで済む
後ろだけは見ちゃだめと
笑ってた 白い手は とてもやわらかだった
運がいいとか悪いとか
人は時々口にするけど
そういうことって確かにあると
あなたをみてて そう思う
忍ぶ 不忍 無縁坂
かみしめるような
ささやかな僕の 母の人生
いつかしら僕よりも 母は小さくなった 知らぬまに白い手は とても小さくなった
母はすべてを暦に刻んで 流して来たんだろう
悲しさや苦しさは きっとあったはずなのに
運がいいとか悪いとか
人は時々 口にするけど
めぐる暦は季節の中で
漂いながら 過ぎて行く
忍ぶ 不忍 無縁坂
かみしめるような
ささやかな僕の 母の人生
長崎出身のさださんは、
葛飾区や千葉県市川市に住んでいたことがあるそうです。
不遇だった自分の母親のことを大人になってから想い起すという
物語の歌ですが、無縁坂という名前の物悲しさと相俟って、
聞く人に深い感銘を残し忘れ得ない素敵な曲です。
2人はなぜこの坂を登ったのでしょうね。
東大病院に治療に通ったのかそれとも、
入院している誰かを見舞いに来たのでしょうか。
あります。上野駅から東大病院まで、歩いて最短のコースをとると
無縁坂を通ります。東大病院に来る人は、上野か御茶ノ水から
バスに乗ってきます。でも、バスに乗らずに歩いてくるならば、
「この無縁坂を登る」のですね。
『御府内備考』に
「弥迎院前通りより往来の坂ににて、往古
坂上に無縁寺有之候に付 右様相唱候旨申伝・・・」
この界隈を舞台にしていて、主人公の岡田青年は、
無縁坂を散歩道としてよく歩いていた。
藍染川という川は、今は見ることができません。
不忍通りの東側に並行して流れていた小さな川で、岸には
染め物屋が多く、蜆やホタルの名所だったそうな。
現在、川は区境の道路となっていますが、一部に
「ヘビ道(台東区谷中)」と呼ばれるうねうねとした部分が、
以前が川だったことを物語っています。
その名前は、坂の上に無縁寺があったことに由来しているそうです。
現在、坂の北側には講安寺がありますが、ここにも無縁寺という庵が
あったようです。講安寺は、漆喰造りの大変個性的なお寺です。
火事の多かった江戸の町で、建立以来300年たって現存しているのは
この防火建築ゆえなんだそうです。
様々な思いを甦らしてくれそうなシットリとした風情の坂道
また、チョイト寄り道しましょうか・・・
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