前回
2017.3.29
・・満腹の状態でなので、高速の巡行は丁度いいね
でも~浜松SAでは、思わず「おでん」と「メロンパン」に・・
旧田口線・廃線利用町道を行く
動画編
タイムライン
奥平氏は、
東に今川・武田、西に織田・松平などの有力大名に囲まれたこの地では、
自家の存続のためめまぐるしく従属関係を変えなければなりません。 時には親子が敵味方に分かれて戦うこともありました 豊川と宇連川の合流点に位置し、北方に人工の塀と土塁を築いた堅固な城
戦国の世の常として、今川、武田、徳川にと帰属を変え、
天正3年には21歳の奥平貞昌が城主となりました
武田信玄の子、勝頼が父の上洛の夢を果たそうと1万5000の大軍により包囲しましたが、奥平貞昌は500の兵で篭城に耐え抜きました。
名城百選にも選ばれています
武田の包囲網を危険を顧みず突破し、織田・徳川連合軍の援軍を
その活躍は三河武士の模範として今でも語りつがれています
城をめぐって繰り広げられた織田・徳川連合軍の鉄砲と馬防柵、
武田の騎馬隊の戦いは、斬新さ、合理性を追求した信長と、 伝統に固執した勝頼との激突であり、新時代性と旧世代性との対決でした この戦いの勝利の後、奥平家は新城の地に移り城を築き、
新城城主として新城の町の礎を築きました 仙人は、山城国に生まれ、現在の峰(鳳来地区)に移り住み、霊木7本杉の
薬師信仰と山岳修験道の霊山として古くから信仰を集め、江戸時代には
徳川家康誕生のゆかりの地として幕府の厚い保護を受け、
21院坊、寺領1350石という盛大さを誇っていました
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