前回
2016.11.3 8:00
飛騨高山の宮川沿いの朝市を冷やかしながらそぞろ歩いていたら 偶然に
櫻山八幡宮の参道で「はちまん市」が、開催されるセレモニーに出会ったよ
動画編
タイムライン
・・何度も味見させていただきました
ホォ・・本日やっているようだね
飛騨街道とは、富山の町中から婦負郡中部を縦断して、飛騨高山に通じていた道で、富山では飛騨街道、高山道と言い、飛騨では越中街道と言い、宮川沿いを通った道を越中西街道、高原川左岸沿いの道を越中東街道と言われた。
ホォ・・祭屋台が、見られそうだね
いいねぇ・・干し柿でも頂きながら渋茶でも頂きたいが、
古くから飛騨の国は、大和朝廷ヘ、税のかわりに匠(たくみ)を毎年送り出しました。選ばれて都ヘ出た匠たち(毎年100人~130人)は、奈良の都の宮殿や、お寺の建築に従事してその腕をふるいました
匠が都ヘ送られた期間はおよそ600年、延べにして7、8万人の飛騨人が一年間
都で働いたことになります。この人たちを総じて「飛騨の匠」と呼んでいます。
飛騨の国には、今もこの匠たちの長い伝統と、培われた技術が脈々とうけつがれていますが、中でも江戸時代後期に、大輪の牡丹のように花開いたのが高山祭の
屋台(国指定重要有形文化財)
高山祭といわれるのは、春(4月14日、15日)と秋(10月9日、10日)の年二回あるように思われがちですが、春と秋では、お祭を行う神社も地域も屋台も全く違います。
他7台の屋台があります。
秋葉神社(あきばじんじゃ)
元和九年(1623)飛騨領主 金森重頼は八幡宮再興に併せて、