前回
此処は、いつも賑やかだけど
これら大晦日までは、特に楽しい通りなのだ
☟ アメ横
年末には正月用の生鮮食品などを買い求める人たちでごった返し、
普段は商店街の端から端まで歩いて十分程度のところ、この時期は
年末が近づくと多くの店が正月用の食品を取り扱うようになり、洋品店な
ど年末に特に売り上げが上がらないもしくは混雑で売り上げを落とす
ような店は閉店して間貸しするため、通りは大きく様変わりする。
☟ アメヤ横丁
街並みの規模は、およそ400メートル。
年越し半月前なので、観光客が、多くて
客との駆け引きをするネゴが、聞こえてこない
戦後、闇市となって様々な物品が売られ、特に飴を売り捌く店が
当時200軒以上ありアメリカ進駐軍の放出物資を売る店も多かった
店員さんの声は、もうつぶれている
増々・・磨きがかかり魅力的な声になる
バラック建ての住宅と店舗、そして屋台や露天で商売をする人々が
目立ち始めるようになる、そして・・
これらは公の営業許可を受けないため闇市と呼ばれた。
この値段の変化や値下げ率の大きさ
更には、どれを何個付けさせるかが、楽しいのだが、
良く考えると…もともとの値段が、高く設定されていることが、多い
気持よくサービスしてくれたら・・ご祝儀もね
十分なモラルがない中で、様々な人間が多種多様な物資を売買してり
状況が、戦後は、続いていた。
昨年よりもさらに多くなってチョイト気味悪いが、
ガタイのでかい黒人が、軽妙な日本語で、
「何・探している・いいとこよ・・」
夜なら新宿歌舞伎町かと思わせる
東上野に現在も残る「キムチ横丁」は、
場外と呼ばれる小売店でも、基本的に値引き交渉をしないことが前提
時には店員との交渉次第で安く買えることが特徴なのだ
夏場は、必ず買い求めるフルーツ切り
多くの中国人が買い物に訪れるため、店員も中国人が多く
中国語が飛び交っている
年末には毎年1日あたり50万人程の人出があり、
日本各地から観光客も押し寄せる。普段は一日10万人程度だが
特徴としては他の日本各地にある商店街と違って
地域密着型ではない
さてと・・そろそろ帰ろうと
見学している韓国か台湾かの家族
☟ 僕ちゃん
無関心で、通り過ぎる子供が、気になっているのか、、 ☟
パフォーマンス中のお兄さんは、一生懸命・熱演
と・・・・
僕ちゃんが、、
掛け合い漫才風に・・
ヤッパリ・・・にやけてる
暮れも押し迫った上野界隈
様々な色合いを見ることが出来ました
チョイト歩いたので、小腹がすいた・・
サッサと握ってくれて・・パクパクと
チョイト・つまみ食いして
中央口改札
盛況だったようですな
今年初めての「山手線」 内回りで、「高田馬場」へ
結構、電車も楽しみなんです。
此れにて 「師走散歩」・・・完
|