前回
2017.2.26
さてさて・・「麹のみの甘酒」の甘さに舌鼓を打ってから 

芦ノ湖畔 杉並木を抜けて箱根峠へ
箱根十城の要「山中城址」で驚きの見事な発掘した堀 

こりゃあ様々なTV番組で取り上げる筈だわ
修善寺駅前のアジ寿司弁当が、うまうま 

動画編
タイムライン


9:40

旧街道は、割合と直線的な上り坂ですね 


お玉の伝説
伊豆の実家に逃げ帰ろうとしたが、関所手形を持っていなかったため箱根関を通ることができなかった。そこで、関を通らずに周囲の山にあった柵を通って関所破りをしようとしたが、関所の番人に捕まり2か月後に処刑された。その後、「那津奈可池」(なずながいけ、お玉ヶ池の旧名)でお玉の首を洗ったという伝説ができたことから
「お玉ヶ池」と呼ばれるようになった。
また、お玉という女芸人が身を投げたからという伝説もあるそうな 




ノンさんは、今年も応援に来たとのこと 

小生は、以前は出かけて来たけど近頃は、もっぱらTV観戦ですw 



10:00




さて・・三島方面へ 


10:30



北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点で、




箱根の山地一帯には戦国時代、無数の城がつくられた。
いずれも小田原城攻防にかかわるもので、中にはにわか仕立に近いものも
あり箱根の周辺部を含めて全部で11を数え、
内1つが攻めの城、残りの10の城はすべて守りの城 


北条氏滅亡と共に廃城となった
北条氏独特の城郭の構造を多く残していることが注目される城 


北側の外輪山では塔之峰山頂に「塔之峰城」、明神ケ岳中腹に「宮城野城」

堀や土塁などの遺構は風化を避けるため、盛土による被履の上芝を張って保護し、畝堀や障子堀の構造が明確に把握できるように整備されている 


各曲輪の間は空堀などを巧みに配し防御性を高めていたが、、


山中城は改修し防備を固めることになるが、果たして・・

日本100名城(40番)


地元では社名をもじっていずっぱこと呼ぶことも多い 



初めの計画では沼津を起点とする予定であったが、東海道本線敷設時に駅が設けられず衰退が著しかった宿場街三島の者が土地寄贈を行うなど積極的に誘致を行い、現在の下土狩駅の所に新しく(初代)三島駅を設けた上で、
ここを起点とすることになった 

(今の伊豆市)まで延伸されている




チョイト奥様にお話を伺うと ご夫婦でツーリングを沢山したいとか・
どうも・・ご馳走様でした 


