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セロー散歩: 東大キャンバスうろちょろ・・・8    三四郎池 ^^!

 
前回
 
 
昨日は、良い天気でバイクだと上下メッシュOK
 
しかし、どこも混んでいたね
 
 
本郷道り沿いには、
観光バスが連なり路上に停車していて
 
とても入る気は、しないので、いつもの東大へ 
 
 
此処までもいっぱいでバイクの停める場所もないほど 
 
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しかし・・
東大の警備員さんは、親切 
 
すいません・・
何処にも置く所 ないので、ここ・・いいですか」と尋ねると
 
面白い回答が、
 
仕方がないですよね、いいですよ・・
 
でも、誰かに尋ねられたら
 
私が良いと云ったと‥云わないでくださいね」と
 
微妙なご回答 
 
今回も彼方此方とぶらついたが、前回までの続きを・・・では、
 
 
 
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本郷キャンパスは植物が多く、四季折々の風景が楽しめます。
 
一番季節を感じることができるのは、この四郎池でしょう。
 
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三四郎は、当時の当主前田利常によって園池が築造され
 
たのは、1638年がさらに補修した。
 
池の形が「」という字をかたどっており、この池の正式名称
 
育徳園心字池なのですが、夏目漱石の小説三四郎
 
以来、三四郎の名で親しまれています。
 
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様々な形をした石の段を下りていくと三四郎
 
池の畔に立つと周囲の建物は木々の陰に隠れ、この木々は
 
小さいながらを形成しています。
 
この森には100種近くの植物が存在し、季節によって様々な
 
表情を見せてくれます。
 
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三四郎池は受験生が一人で行くと
浪人してしまうというジンクスもある 
 
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山手台地を浸食した谷に湧出する泉 
 
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この池は、江戸時代加賀藩邸の庭園の一部だったが、
 
明治に入って東京帝大に移管された。
 
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現在の赤門からにかけての一帯の地は、大坂の役後に
 
将軍家から賜ったもので、この屋敷は、明治維新に大部分
 
新政府の官有地に転ぜられるまで存在していた。
 
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八景、八境の勝があって、その泉水・築山・小亭等
 
数奇を極めたものだと言われている 
 
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江戸諸藩邸の庭園中、第一の名園とうたわれた 
 
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この屋敷は安政二年(1855)の大地震で大損害を被り、
 
明治元年(1868)四月の火事で大部分の建物が類焼して、
 
無残な姿になってしまう。
 
明治七年に東京医学校(本学医学部の前身)へ移転される
 
直前の敷地は、「荒漠タル原野」と化していた。
 
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度重なる災害の中でも、育徳園の池と樹木は残存していた。
 
本郷キャンパスの建物の配置は、この加賀藩の敷地の
 
配置に大きく影響されている。育徳園の池は現在の三四郎
 
あり、その東に広がる馬場は明治三十二年頃拡張されて現在の
 
運動場となった。育徳園馬場の保存は、おのずからこれらの
 
北と東を限る道の保存につながり、これらがキャンパスの敷地の
 
骨組みとなったそうな。 
 
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夏目漱石の長編小説「三四郎」の一節
 
 「三四郎は左りの森の中へ這入った。
   其森も同じ夕日を半分脊中に受けてゐる。
     三四郎は池の傍へ來てしゃがんだ」    
 
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なぁ~んて・・思いながら そぞろ歩くと楽しい 
 
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一周しても残念ながら
 
もの思いに耽る若者の姿は、、無かったが
 
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周りを森に囲まれた三四郎は、
 
現在でも学生の憩いの場となっている筈 
 
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都内にも随所に名園と呼ばれる庭園は、あるが 
 
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なんとなく落ち着く雰囲気のある空間だ 
 
 
 
暑い日には、サンドイッチアイスコーヒー
 
ソフトクリームをもって来たい・・・・・
 
 
そう・・東大ソフトクリームといえば此れだ、、、、
 
は、次回に  
 
次回