相川一町 老舗の喫茶店で大休止 ^^!
慶長年間(1596~1615)大久保長安の
指図で、石見国の漁師を呼んで
達者地内に住まわせ一村を開いた
板囲いの建物が細い路地道に密集して建つ典型的な漁師町の様相を見せているが、
近海ものの漁業でないためか、漁に必要な道具類が集落で見られない
今でも姫津は漁業集落である
昭和40年にほぼ全戸が焼失する大火があり、集落はそれ以後復興したもので、建物は伝統的な様式で建てられているが新しい家屋である
【達者】
姫津の南に位置し段丘上に8反余の広さを持つ
姫津の南に位置し段丘上に8反余の広さを持つ
「たばせ垣ノ内」の地名が残る
入口にはこの赤レンガの倉庫が建っています
明治時代、佐渡金山の近代化に伴い、物資や燃料の搬入生産品
(金・銅などの鉱物)の搬出に使用
埋立による人工港湾
新製鉱所敷地造成時の切崖土砂を運搬して
埋立に用いた
「たたき工法」による護岸、クレーン台座、
木造倉庫、レンガ倉庫、発電所の基礎部分、
トラス橋などが残る