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動画編
"令和"元年 梅雨前ツーリング Ⅲ 佐原水郷巡り パート 2 戦闘機シェルター『掩体壕』
タイムライン
若い方たちの観光も多い
此処にも25基の掩体壕と無蓋掩体が101基建設された
しかし、空戦は敗戦の日の8月15日に
郡山の戦闘304飛行隊が英機動部隊の艦載機と房総半島上空で空戦を交えた
敷地には、幅30・5メートル、奥行き13・8メートル、高さ6・6メートルの掩体壕が残り、今は駐車場や物置として使っている
茂原基地には雑多な部隊が駐留し錬成を重ね
小規模な機数の『神風特別攻撃隊』は、茂原より出撃し続けた
戦後に米軍が撮影した茂原基地の航空写真
中央に滑走路(1000m道路)、左手の誘導路付近に見える建物に兵舎などがあり更に司令部などがあります。更に上の方に誘導路が幾つかあります
この周辺に多数の掩体壕が点在
広大な敷地は戦時中、茂原海軍航空基地だった
同基地から飛び立った戦闘機が、来襲した米英軍機と交戦した
B29による関東地域空襲を迎撃、P51と格闘した
茂原基地で終戦時米軍への引き渡しされた飛行機
零式艦上戦闘機五二型 73機
零式艦上戦闘機二一型 3機
彗星艦上爆撃機四三型 1機
零式練習戦闘機 2機
白菊機上作業練習機 2機
九三式中間練習機 4機
合計 85機
終戦直後は、厚木基地の反乱に対処するため完全武装で
これらの飛行機が待機していた
北海道ツー2015 7 23 美幌峠からクッチャロ湖へパイロット国道R243