春まだ浅い 天竜奥三河 直虎ゆかりの地ツー ⑤ 中馬街道 残雪の大馬渡峠から 旧恵那郡 明智光秀ゆかりの明智町・ 日本大正村 ロマンあふれる 明知鉄道の終点 明智駅へ ブログ&動画

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前回
 
2017.3.29
信濃甲斐中部山岳地帯が国内を貫通し、信濃においては河川は水運
向かなかったために
  山越えのし易いによる輸送に依存せざるを得なかった 
飯田藩の城下町である飯田宿中馬の主たる根拠地だった
 
動画編
 
 
タイムライン
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五街道などでは公式の伝馬役は隣接する宿場町間のみの往復に限定され、
宿場町ごとに馬を替えなければならずかつ駄賃や問屋場口銭を徴収された
「宿継ぎ」ことから不便であった 
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江戸時代初期頃より沿道の農民が自己の物品を城下町などに運ぶ
手馬(てうま)と呼ばれることが行われていたが、
寛文年間頃より副業として駄賃馬稼も行うようになった 
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次第に専業化して顧客の依頼を受けて顧客の元から相手先の宿場町まで
荷物を運ぶようになり
 元禄年間初頭(1690年代)には中馬と呼ばれるようになった 
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中馬宿場町馬を替える必要がない付通し」あるいは「通し馬」と
呼ばれるの仕組で行われていたため、
手数料を取られたり荷物の積み替えの際に荷物を破損する可能性が低く
急激に成長していった 
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伝馬役を扱う宿場問屋は大きな打撃を受けただけではなく、江戸幕府の公的
輸送負担を課せられて二重の意味で苦しんでいたため中馬に激しく反発した
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飯田藩のほぼ全域を貫く飯田街道伊那街道)では
中馬の規制が緩やかであったそうな!
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松本宿へ600駄、上諏訪宿下諏訪宿へ800駄の宿継ぎを義務付けた以外は
規制が行われなかった 
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信濃4郡伊那郡諏訪郡安曇郡筑摩郡)を中心に隆盛となった 
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勢力を拡大させ、明治に至ったが、
  鉄道道路の整備とともに衰退していった 
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旅人も馬も一休みして喉を潤したのだろうか 
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中馬は普通1人で3・4頭の馬を牽引し、100貫前後の荷物を1度に運んだ
中には、江戸名古屋に直接乗り入れる者もあった。
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料金は原則として到着先で支払われるが、荷預の際に
荷物代金の7割敷金」名目で保証金として預かっていたそうな
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11:00 大馬渡峠ー「おおばど」と読みます
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標高 620m
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途中に・
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街並みも人情もふくめて日本大正村 紹介

明治と昭和の間に、人の心がありました。
古きよき時代のモノを再現したかったのではありません。
町をそっくり、その空気で包みたかったのです。だから「日本大正村」は、人の手づくりとボランティアが基本なのです。
明智町は大正の頃、製糸工場がたくさんございまして、
その頃の建て物も数多く残されております。
だからというわけではございませんがお陰さまで、
人情もまた大正の頃の素朴さを残していてくれます。
やさしさも失われていないと存じます。
大正村は囲炉裏ばた。
何はなくとも、熱いお茶と、語らいでもお土産になさってくださいまし。
大正村はそんなところでございます
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  明智駅
  1934年6月2 国有鉄道鉄道省)明知線の岩村-明知が開通、
  終着駅「明知」として開業
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明知鉄道は、明知鉄道恵那駅を起点に、終点明智駅まで東美濃地方
高原地帯を縫って南下する、全線25.1キロの路線です 
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沿線には800年余の歴史を秘めた岩村城寒天料理の山岡滝温泉花白温泉、そして大正ロマンを今に伝える大正村など四季を通じて見所は豊富
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恵那駅岩村駅明智駅以外の駅は、無人駅 
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                明智光秀
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明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての
武将。 戦国大名織田信長に見出されて重臣に取り立てられるが、
本能寺の変を起こして信長を暗殺。直後に中国大返しにより戻った羽柴秀吉山崎の戦い敗れた。一説では、落ちていく途中、小栗栖において落ち武者狩りで殺害されたとも致命傷を受けて自害したもとされる。
これは光秀信長を討って天下人になってからわずか13日後のことであり、その短い治世は「三日天下」とも言うね 
 
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色んなハイキングルートが在って1日楽しめそうです 
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こんな可愛らしい列車の旅も・・イイかも 
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名鉄名物焼き芋も美味しそうですよ 
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  モウ・昼も過ぎたので、
 
   何処かで、蕎麦でもいただきましょう