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冬が来る前に 飛越地方合掌造集落 飛騨高山・白川郷・五箇山 紅葉ツーリング 最終章 野麦峠女工哀史 絶品珈琲&紅葉の峠を堪能 そして別れ分かれに!

前回

2016.11.5
今回の旅、最後のスポット・野麦峠
    此れも日本の原風景女工哀史 

 美しい紅葉の山並みと
  多くの思い出土産を持ち帰ることが出来ました 

動画編

タイムライン
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野麦峠(のむぎとうげ)は、岐阜県高山市長野県松本市の県境に位置し、
飛騨国信濃国を結ぶ鎌倉街道江戸街道と呼ばれる街道の
乗鞍岳鎌ヶ峰の間にあり、標高1,672m
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古来から野麦街道があり、能登で取れたブリ飛騨を経由して信州へと運ぶ
道筋であった。信州では飛騨ブリとして珍重され、能登では
1尾の値段が米1斗であるものが、峠を越えると米1俵になると言われた
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に群生する隈笹十年に一度の穂に似た実を付けることがあり
土地の人に「野麦」と呼ばれていたことによる
凶作の時にはこの実を採って団子にし、飢えをしのいだそうな 
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あゝ野麦峠 新緑篇1982年製作の日本映画
    前作あゝ野麦峠の興行的成功を受けての続編 
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明治の初めから大正にかけて、当時の主力輸出産業であった生糸工業で発展していた諏訪地方岡谷へ、飛騨の女性(多くは10代の少女)が女工として働くためにこの峠を越えた
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この史実は1968年に発表された山本茂実(やまもと・しげみ)の
    ノンフィクションあゝ野麦峠で全国的に有名になった 
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小説によれば、就労先で妊娠し厳しい峠越えの最中に子どもを流産する
工女も少なくなかった。故に野産み峠となり、野麦峠となった、とある

ああ野麦峠より抜粋)

      
工場づとめは監獄づとめ 金のくさりがないばかり

      
籠の鳥より監獄よりも 製糸づとめはなおつらい

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 「工女衆がよく落ちた谷はこの辺でございます。みんな帯をといてつなぎ合わせておろしてやり、それでやっと救いあげたこともございました。峠の地蔵様が笹原の中に立っているのはその付近で、あの谷はどれだけ多くの工女の命をのんだか知れません。わしらは先の人に離れないようにヒモで体を結び合わせ、峠の地蔵様に念仏をとなえながら一足一足命がけでついていったのでございます」明治15年生)

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野麦の雪は赤く染まった  (ああ野麦峠より抜粋)
野麦峠の雪は赤く染まった」
その女の悲鳴が野麦の谷々に響きわたり、峠の地蔵様はそれを黙って見守っていた。パンツもなかった明治のこと、腰巻きのすそは凍ってガラスの破片のようになり、女のモモは切れて血が流れ、ワラジをいくら取り替えてもたびは凍り、足は凍傷にふくれた。
野麦を越えるときは、この辺の衆はみんな水さかずきをして出たもんです。
何しろ野麦の雪が赤く染まったという話を年寄りからよく聞いた。
明治35年生)

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乗鞍岳御嶽山が望まれ景観が素晴らしい
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映画では、飛騨からの出稼ぎ女工の悲惨な面を強調して描かれているが、
原作では、工女の賃金にばらつきがあったことや、
「我が家は貧乏だったので工女に行けなかった」、
「実家の農家で働いていた方がきつかった」
といった複雑な背景も描かれている。
糸値に翻弄される製糸家の厳しい実情などにも言及している 
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アー飛騨が見える、飛騨が見えると喜んでいたと思ったら、
まもなく持っていたソバがゆの茶わんを落して、力なくそこにくずれた・

道のり あゝ野麦峠の道のりでは、右上の松本盆地を経由する。
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  帰ってからも様々な美味しい土産で、

    思い出記録を楽しんでます