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そぞろ散歩 竹橋 界隈 橋三昧 ^^! その1



間もなくすると皇居周りは,見事な桜並木となるが、

その前になんとなくぶっらついてみた 

東西線の「竹橋」 1b出口を上がると 

そこは、 「一ツ橋

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一丁目は麹町地域、二丁目は神田地域と分かれている

かつて町名が神田一ツ橋の時代もあった。

小学館及びその関連会社(集英社など)の本社が集中している

ことから、出版業界ではそれら企業群のことを俗に

一ツ橋グループ」と呼ばれる


清水濠」を渡ると「北の丸
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一ツ橋」の地名は中心部よりやや南を南東から北西へ縦断する

日本橋川に架かる一ツ橋(一橋)に由来している。

一ツ橋付近はもともと日本橋川小石川(現在の白山通り)の合流

地点であり、合流点を表す「ひとつ」がこの地点に架かる橋の名称、

さらにこの付近の地名になった。

町名の由来となった一ツ橋は後述の一橋御門の築造以前から存在

していたと考えられている

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北の丸公園」側には、
日本武道館まで幾つかの散策ポイントがある

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直ぐ手前には、毎日新聞社本店・東京本社は、

パレスサイドビルディング」内にある

2本の円柱状のコアが付けられているこのビルは、

「株式会社毎日ビルディング」が運営している


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北側には首都高速都心環状線が走り渋滞中に
ガラス張りのビルの内側がよく見える事でも知られてる

高速を挟んで「如水会館」がある

「君子交淡如水」

君子の交わりは淡きこと水の如し:

才徳のある者の交際は水のようにさっぱりしており、

濃密ではないが長続きする



沢山のテナントが入るこのビルの散策も楽しい

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徳川の関東入国以前にすでに存在しており 竹橋の名は、

を編んで渡した橋」だったからとも、また後北条の家臣・

在竹四郎が近在に居住しており「在竹橋」と呼んだのが変じたもの

とも言われる。

別本慶長江戸図」には『御内方通行橋』と記してあり、

主として大奥への通路に用いられたようだ。

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明治時代には、橋西詰に近衛砲兵大隊竹橋部隊があった。

1878年明治11年)8月23日西南戦争の処遇を巡って、同部隊の

兵士らが武装蜂起する騒乱が起きた(竹橋事件)。

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裏の一橋総合ビル側
3方を首都高速に囲まれた地域だ

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チョイト・・橋を訪ねながら巡ってみよう・・