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動画編
"令和" 元年6月 梅雨前ツーリング Ⅳ 徳川四天王 お膝元 10万石の城下町『大多喜』巡り
タイムライン
房総丘陵(丘陵地帯)の中に位置し、森林が面積の約70%を占める、太平洋側(外房)・南総(上総国)の町。南西部は山勝ちで北東に向かうに従い標高は低くなっている。主な河川である夷隅川は北東に蛇行しながら流れ、養老川は西部を北に流れる。
御菓子司津知家 (つちや) (大多喜/和菓子) - Retty
徳川四天王のひとりである本多忠勝が初代城主となった大多喜城下の銭神地区に天明年間の創業と伝えられ 明治4年廃藩置県を機に、現在地に明治7年今も残る当社の母屋などが建築された
緑豊かな自然環境、伝統と文化が根付いている町には、直角に曲る道、格子戸と蔵造りの家屋などが数多く残され、歴史的文化遺産として昔の面影を色濃くいまに伝えている
メキシコ通り遊歩道は、今から約400年前に御宿海岸の沖合いで遭難したスペインのフィリピン総督ドン・ロドリゴ一行を時の城主が庇護し帰国させ、その答礼として昭和53年(1978年)に来日したメキシコ大統領が当町を訪問し、これを記念して整備された遊歩道(プロムナード)
ネーミングライツにより、千葉県内の訪問歯科・デンタルサポートが命名権を取得しており、2009年(平成21年)9月よりデンタルサポート大多喜駅と愛称が付与され、各種表記に反映されている
テレビ東京系番組「チャンピオンズ〜達人のワザが世界を救う〜」でいすみ鉄道の支援が行われることとなり、発泡スチロール製の本多忠勝像が作成された
いすみ鉄道の本社も隣に併設されている
旧国名 上総国
分類・構造 連郭式平山城
天守構造 型式不明[3重4回/築年不明/消失]、
構造 型式不明[3重4回/築年不明/消失]、
複合式層塔型[3重3階/1975年築/RC造模擬]
築城主 武田信清
築城年 大永2年(1522)
主な改修者 本多忠勝、阿部正次
主な城主 真里谷武田氏、里見氏、本多氏、阿部氏、
青山氏、稲垣氏、松平氏
廃城年 明治4年(1871)
天正18年(1590年)、里見氏が惣無事令違反を理由に上総国を没収されると、同国は徳川家康に与えられ、その配下の勇将・本多忠勝が城主となり、
大多喜藩10万石が成立した
忠勝は里見氏の北上を防止するために突貫工事を行い、3層4階の天守を持つ
近世城郭へと大改築を行い、ふもとに城下町の建設を行った
明治3年12月に城は取り壊され、その後本丸も削平された その後、昭和41年(1966年)に本丸跡は千葉県の史跡に指定され 昭和50年(1975年)に城跡に天保6年(1835年)の図面を基にして天守が再建、内部には千葉県立総南博物館(現在の千葉県立中央博物館大多喜城分館)が設置された
一の丸から覗き込むと 10mほど下の二の丸に
「薬医門」は、移築保存されている
北海道ツー 仙台港から苫小牧へ42年ぶりのフェリー&トラウマ ^^! A ( オートバイ ) - kzのブログ - Yahoo!ブログ
2015/08/10 14:02