前回
動画編
平成最後のツーリング 西日本2850Km Ⅶ 近江八幡宮:絶景 桜吹雪の八幡掘り巡り
タイムライン
鳥居の正面にある・
白雲館
明治10年に擬洋風建築として建てられた八幡東小学校
現在は観光案内所として使われている
八幡山へのロープウェイ手前に、平安時代創建といわれる日牟禮八幡宮 近江八幡の地名の由来だそうだ
豊臣秀吉の甥である豊臣秀次が開いた城下町で、商業都市としての発展をめざして楽市楽座により商人が活躍し、近江商人発祥の地となった
養子となって関白を継いだ秀次は、18歳で近江43万石の領主となった 碁盤の目状の近江八幡の城下町を開き、信長亡き後の安土城下の民を移し、商業都市としての発展を目指した しかし秀吉と茶々の間に秀頼が誕生したことにより疎んじられ、秀吉の逆鱗に触れ謀反の疑いで切腹を命じられた 享年28歳 首は三条河原にさらされ、さらに妻妾や子女、併せて29人も処刑された
近江商人(おうみしょうにん、おうみあきんど)または江州商人(ごうしゅうしょうにん)、江商(ごうしょう)は、中世から近代にかけて活動した近江国・滋賀県出身の商人。大坂商人・伊勢商人と並ぶ日本三大商人
活動地域が近江国内に限定される商人は「地商い」と呼ばれて区別された
「八幡瓦」が地場産業・・