前回
2016.11.4
2晩お世話になった旅館喜十郎屋
結局、宿泊したのは小生一人だったね
お婆に朝食もシッカリと頂き お礼を告げて 

駐車場で、バイクに荷造りをしていると・・
7:30 ノンさん登場 

今朝からは、いつものノンさんと 明日の野麦峠まで同行する 

さて・・昨日のごった返した「飛騨高山 古い街並み」から「飛騨の里」へ 

動画編
タイムライン
鍛橋を渡るのは、これで、4回目だね
流石 ノンさんは、いつも地図が、記憶されているようだね 

8:50
移築された民家やさまざまな民具コレクションとともに
飛騨人の心に今も残る暮らしの文化が息づいています
飛騨人の心に今も残る暮らしの文化が息づいています

厳しい自然と向き合った飛騨のくらしが合掌造りを生み出した
合掌造り家屋と入母屋造り家屋に分けられます
「入母屋造り」合掌造りとの外観の違いの一番は屋根の作り 

お寺の住職が暮らした旧西岡家 旧西岡家住宅は蓮受寺の庫裏として建てられました。旧所在地の加須良(かずら)は、白川村でもっとも北の集落で、峠をひとつ越えると富山県五箇山の上平村になります。構造はカタギ造りと呼ばれる形態で、富山県境と飛騨市宮川町や河合町など豪雪地帯に多く見られます。チョウナ梁を用いているのが大きな特徴です。 |
かつては飛騨の北部の豪雪地帯に建っていました。
雪に強い茅の特性を生かしたのです 

白川・荘川の茅葺き民家は屋根が合掌した手の形に似ていることから
「合掌造り」と呼ばれています 

茅葺き民家の背の高い構造は、養蚕のために生まれたものでした 

合掌屋根は梁の下端をペンシル型に尖らせ、それぞれ桁にピンポイントで乗せただけの構造です。これは雪による大きな垂直加重を受けるのに強く、横からの力には弱いが、山が強風をさえぎってくれる飛騨では大変合理的な方法でした 

換金作物として重要な養蚕、カイコの飼育は江戸時代から盛んに行われました
釘は貴重品であったこともあり合掌造りは釘を一切使わず建てられています。
梁や柱はネソ(まんさくの若木)と茅縄で縛られ、弾力性があり、かつ緩まないという点で釘よりも優れた方法です
養蚕にあてられました。合掌造や入母屋造りにみられる屋根裏の広い空間は、
養蚕の作業場として最大限に利用するため生み出されたもの 

豪雪を支え、大地震に耐えた家の秘密は太い木の股の柱にあった 

屋根の内側に並び付けられているヤナカモタセは合掌屋根と家本体の隙間をふさぐ茅の束(鎧茅、チョウナ茅とも言う)で、家の断熱と木材を保護する効果がある
十九世紀に松田亮長が根付に用い、その木目や木肌の美しさが評判となり
一躍注目を浴びることとなった一位一刀彫