前回
2015.7.29
いよいよ最終日、
まぁ・・本日中に東京へ着けばいいやと
・・寄り道三昧
「松が岬公園」へ
動画編
タイムライン
農民へ倹約の奨励など対策に努め、自らも粥を食して
倹約を行った
成さねは生らぬ 何事も
生らぬは人の 生さぬ生けり」
{ 弗爲胡成:為さずんばなんぞ成らん }
歌は「伝国の辞」と共に次期藩主に伝えられた
・・が、 しかし
「為せば成る、
為さねば成らぬ成る業を、
成らぬと捨つる人のはかなき」
と読んだ
武田信玄(1521-1573)の名言を模範にしたものなのだ
因みに
「してみせて
言って聞かせて
させてみる」
の言葉を残した、
山本家の養子)も信玄の影響を受けたとされる
尊敬され他の歴代藩主は敬称なしで呼ばれることが
敬称を付けて呼ばれることが多い
たいという鷹山の心遣いだったとされる。なお、治広には
それを差し置いての後継指名であった
鷹山は、籍田の礼を行っていた。
領土領民に農業振興を教え諭し、収穫を祖先に捧げて
鷹山の愛の治世の方針に基づき、
更に藩士・農民など身分を問わず学問を学ばせた
上杉家は、18世紀中頃には、借財が20万両(現代の通貨に換算して約150億から200億円)
加えて農村も疲弊しきっていたのを立て直した
今をさかのぼること約200年前、鷹山公は、
凶作に備える施策として「かてもの」という
食の手引書を編纂し、藩内に配付しました
「かてもの」とは、{主食にまぜて炊くもの}の意で、
主食を増量して空腹を癒すことが目的であった
この書はその後の大飢饉に大いに役立ち、
他県にまで広く食糧事情を救うために役立ちました。
この教えの多くは郷土料理として今に伝えられ、
米沢地方では生活に脈々と息づいています
昨日、2016、3/26
北海道新幹線が開業した。
と呼ばれているが、あくまでも通称であり
正式にこの名称を与えられた路線は
日本には、存在しないのだ
・・面白いですねぇ
それでは、、、行ってみますか
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