前回
日産自動車のラリー戦績にも、
素晴らしく輝かしい実績が、残されている
東アフリカのサファリラリーや
![]() オーストラリアのサザンクロスラリーなどの国際ラリーだ・・・
![]() 学生の頃は,大学ラリーが盛んで、毎週のように週末になると
各大学や様々な団体のラリーやダートトライヤルなどの
競技にも参加していた
山の中を・迷走し 4~500Kmは、駆けずり回っていたな
![]() 争うものではなく 如何に決められたコースをコマ地図で探し
決められた時間と速度を計算しながらオンタイムで、走ることが
できるか鍵でチームワーク戦だったで、楽しかった
![]() タイガー計算機などという手動の大きな重たい昔の手動式
計算機を無理やり取り付けて車中で計算ハンドルを回す、
激しくダートを駆け抜ける車内でナビゲータ(コドライバー)は、
それこそ細かな数字とにらめっこをしながら必死に回す。
ドライバーをコントロールし山の中のCP(チェックポイント)
を探しながら夜通し走り続ける・結構ハードなのもだったね
![]() コマ地図を頼りに決められたコースを決められた時間にCPを
通過するのが、なかなか難しく ミスコースや計算間違いなど
常に付きまとう・・でも和気あいあいで、のめり込む面白さ
![]() 出場する車も様々で、チーム名もユーモア溢れるものだった
今でも覚えているが、「ポルノNo1」とか・・
主催する大学によって其々、特色があり・・確か
![]() 慶応(ソフィアラリー)は、スピードが速くて、、
一ツ橋は、難問な計算が、必要で
東女は、凄い車が,出場する・・・などで、
![]() オーガナイズやコース作り、サービスなども楽しかった
![]() それがだんだんとプロのラリードライバー化し様々な計算も
PC化し更に 一般競技として盛んになると競争もエスカレート
して急激にスピードラリー化していった。
![]() ワークスやファクトリーで、海外も視野に入れた走りの
競技になって車作やサービスにも多大な費用が,
かさむようになりプライベートでは、気楽に楽しめなくなった、
山道から転落したり死亡事故なども起こるようになってしまった
為に規制が、強くなり大学ラリーは、縮小していった。
![]() 東急の故:五島 哲さんが、憧れのディ・チューンのZで、
参戦したときには、
ヨダレが、出るように 舐めわましていたけ・・
![]() 三菱のファクトリードライバーとして木全巌や篠塚健次郎が、
活躍したのも此の頃だ 毎回のようにワークス車が、出て来た
その頃はまだ、プライベートでガッある走りで、いつも上位入賞の 岩下吉雄さんなど忘れることができない
![]() よみうりランドの裏手にあった
「多摩サーキット」
世界的に有名なドライバーが激走をしていたコースや
当時、乗っていた同じカラーのノーマルなP510が、
素晴らしく綺麗な状態で、展示されていた
![]() 頑固一点張りの車で故障知らず、仲間と随分と出かけました
![]() 記憶は、45年を超えて 鮮明に蘇えってくれました。
![]() 次回
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