全体表示
前回
2017.11.6
晩秋の碓氷峠は、極 彩 色 の只中でした
以前から気になっていた「めがね橋」
まさかこんな快適な「アプトの道」になっていたとは、意外でした
鉄道遺構でこんな素敵なハイキングが楽しめるんですね
動画編
タイムライン
|
全体表示
前回
2017.11.6
晩秋の碓氷峠は、極 彩 色 の只中でした
以前から気になっていた「めがね橋」
まさかこんな快適な「アプトの道」になっていたとは、意外でした
鉄道遺構でこんな素敵なハイキングが楽しめるんですね
動画編
タイムライン
|
全体表示
前回
2016.8.11
素晴しい伝統と歴史が物語る街並みだった
矍鑠とした街並みに残った村上大工の町屋・小町
「鮭」に慈しみ ビックリタマゲタ 村上の千年鮭
動画編
タイムライン
村上には、武家屋敷、町屋、寺町、城(跡)という城下町としての四大要素が残っていて全国的にも希少な城下町であると高い評価を受けている
冷たく冷やされた極旨の甘酒
旅すると各地の造り酒屋の酒粕を楽しみにしているが、極上モノ
4.5Kg以上のオス鮭しか使わないそうですね
メス鮭は、採卵して孵化させて三面川へ放流する
黒埼パーキングエリア - Wikipedia 11:50
|
全体表示
前回
2017.11.5~6
中山道六十九次の宿場の間にある「間の宿」
日本の街道にも良く見られた「日本の心」
旅人への労をネギライうおもてなしは、十分に推察できる
今回のルートも暴れん坊の千曲川の西と東の宿場や
動画編
タイムライン
平安時代からこの地を収めていた豪族望月氏の姓や、その望月氏が朝廷や幕府に献上していた馬の名産地として蓼科山裾野の「望月の牧」から、「望月」の名が付いたとも言われる。なお、望月氏の由来は、望月の牧からであり、望月の牧の由来は、一族が毎年旧暦8月15日の満月の日(望月)に馬を朝廷や幕府に献上していた為である
正縁寺の先で中山道筋は二車線道路から反れて細い坂道を下ります、下りきった辺りに「塩名田宿お滝通り」の碑が設けられています、此処は昔「瀧大明神社」の境内でケヤキの大木が立ちその下から大量の湧水が流れ出ていたと云います
江戸期はじめの頃は渡場には河石を橋桁とする渡橋が架けられていましたが水害により橋が流され舟渡となりました、その後明治に入り舟橋会社が設立され舟を繋いでその上に橋を架ける舟橋が架けられます、幾度の水害を考慮して直ぐに造り直せる舟橋としたのです
塩名田宿が最大に活気を帯びたのは江戸期よりも明治中頃で二人の料理人が
八幡宿より移転して角屋を料亭に新装改築してからでした、それ以後塩名田宿は川魚料理で一躍有名に成りました、もともと交通の要所であったので他の
地域から開業移転する業者も多く志賀銀行や製糸工場などもこの頃に営業をはじめました
龍雲寺、西念寺、法華堂などの古刹、割元邸(割本邸)が利用された
小田井宿は姫君や側女たちの宿にあてられることが多く「姫の宿」とも呼ばれた
史跡・みどころは多い
この油屋がモデルである
16:50
毎年、旧車によるラリーを開催しているそうな
19:15
数百人の飯盛女が働いていたという 宿場の東にある矢ヶ崎川にかかる
二手橋は、旅人と飯盛女が別れを惜しんだ場所
連絡していた馬車鉄道である
|
全体表示
前回
2016.8.10
「禅林街」のお盆はすさまじい混雑だったね
見所沢山の中からやっぱり此処「山居倉庫」
動画編
タイムライン
米どころ庄内のシンボル山居倉庫
明治26年(1893)に建てられた米保管倉庫
美味しかったねぇ
建設された14棟のうち12棟が残っており 今も現役の農業倉庫
白壁、土蔵づくり9棟からなる倉庫の米の収容能力は10,800トン(18万俵)
自然を利用した先人の知恵が生かされた低温倉庫として、現役の農業倉庫
二重屋根は、土蔵と屋根の間に空間を作って風通しをよくし、積み重ねた俵の熱の放散と、屋根からの伝導熱を防ぐ役割を果たしている
|