kzのブログ

一生の友となるかもしれませんね! どうぞお付き合いくださいね ^^!

春の寸又峡から遠州二股ツーリング  其の⑦ 大井川鐡道井川線:奥泉駅  エェ・ここがあの殺人現場 (゚Д゚;)

前回

H30.3.29

明日の朝、この駅から乗車するのでチョイト寄り道
・・へぇ 縄文時代遺跡が発見されているんだ 
薄暗い山道を登ると「寸又峡温泉
 偶然にも今夜の宿は、、
  あの金嬉老事件の舞台が、目の前
 当時の生々しい状況を女将から

動画編

タイムライン
イメージ 2

イメージ 1

イメージ 3
あの日本一 険しい急坂を下るアプトライン
正に日本一の景観だったね 
イメージ 4
実際に車窓からどんな風景が観れるのか
とても楽しみだね 
イメージ 5

イメージ 6
大井川鐵道井川線の駅
寸又峡温泉から井川線に乗ろうとする場合、
一番近い駅なんです
イメージ 7
駅前のトイレは 付近で縄文時代の遺跡(下開土遺跡)が発見されたことにちなみ、
竪穴式住居を模した外観となっている
イメージ 8
此処は、おの名産地として有名だね 
イメージ 39
縄文時代から沢山の人々が、暮らしていたんだね
イメージ 40
・・早く乗りたいなぁ 
イメージ 41


イメージ 9

イメージ 38

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

イメージ 20

イメージ 37


イメージ 31
金嬉老事件(きんきろうじけん、キムヒロじけん)は、1968年2月20日在日韓国人二世の金嬉老
(きんきろう(キム・ヒロ)39歳が 犯した殺人を発端とする監禁事件である。寸又峡事件とも呼ばれる

イメージ 21

殺人

1968年2月20日、手形トラブルが高じて暴力団から借金返済を求められた金は、返済を約束して静岡県清水市の歓楽街にあるクラブ「みんくす」で暴力団・柳川組暴力団員2人に対しライフルを乱射して殺害し逃亡
柳川組は、在日朝鮮人を中心に構成された組織
イメージ 22

監禁

逃亡中の翌日には、寸又峡温泉の「ふじみや旅館」で経営者と宿泊客ら13人を人質として籠城した
金は、M1カービン用の30発弾倉を取り付けた豊和工業製の猟銃「M300」とダイナマイト武装
88時間にわたった籠城の結果、人質を解放し、その直後に報道関係者に変装した静岡県警察の捜査員によって取り押さえられ逮捕された
イメージ 23

差別問題

籠城中、金嬉老はこれまで受けた差別を告発し、警察官が朝鮮人を侮辱した発言を行ったとして謝罪を求めた。そのため、この事件は、在日朝鮮人による差別の告発として受け止められて行く。
 金のいう警察官の発言とは
朝鮮人は日本へ来てろくな事をしない
         というもの 
イメージ 24

マスコミの暴走

金が籠城する様子はテレビラジオ実況中継され、関連していたとされる警察官がテレビに出演するなどもした。連日各テレビ局のワイドショーは、人質被害者の安否や被害者家族の意向などお構いなしにスタジオから「ふじみや旅館」に独自に生電話を入れて視聴率を稼ぐなど手段を択ばなかった
テレビ朝日などは、銃を持って戸外を警戒している金に対し「金さん、ライフルを空に向けて射ってくれませんか」と要望を出し、金が空に向かって数発、ライフルを乱射しているところをカメラで映して演出までした(のちに金本人が法廷陳述で一連のマスコミ報道の裏を暴露して不満を表明している)
また金の本国である韓国でも大々的に報道され、金は殺人及び監禁犯であるにも拘らず
差別と戦った民族の英雄
   として祭り上げられた 
イメージ 25

裁判

金は静岡刑務所未決監独房に身柄を移され殺人罪監禁罪爆発物取締罰則違反で起訴された。裁判では金の在日韓国人としての生い立ちがどれほどの影響を
与えたかとが主な争点となった。
裁判中に刑務所内での金に対する特別待遇の実態が判明する。金の独房は施錠されておらず散歩や面会なども自由で脱獄手段に用いられる出刃包丁、ヤスリ、ライターなどを持ち込んでいた。これは金が自殺をほのめかしたりして、規則違反がエスカレートしたもの
特別待遇は刑務所上級職員の間で申し送り事項になっていた事実も判明し、刑務所の管理体制が問題となって衆議院法務委員会でも責任追及がされる。その結果、法務省矯正局長以下13人の法務関係者上級職員、専従職員13人が停職・減給・戒告・訓告などの処分を受けた。包丁を差し入れたとされる看守が後に
服毒自殺をしている
イメージ 34
1999年9月に、韓国に強制送還し二度と日本に入国しないことなどを条件に70歳で仮釈放
東京保護観察所を経て、韓国釜山に帰国させられた
イメージ 35
金嬉老は窃盗などを重ねて1943年に逮捕され、終戦まで相愛少年保護院で過ごした。また、1946年にも窃盗・横領罪で服役し、同年離婚、その後の約20年間も、窃盗、詐欺、強盗などの犯罪を繰り返し、刑務所を出たり入ったりするような生活だった

イメージ 26
親族は金の性格の問題とし、
「当時、在日朝鮮人はみんな差別された金嬉老は殺人の罪を民族問題にすりかえ、社会がそれを利用した」と述べた
イメージ 36

部屋に入り窓を開けると
目の前には、
イメージ 27

イメージ 28

女将が、嫁いできたその年に
この恐怖に直面したそうな 
イメージ 32
大変な数の警察官や報道陣が取り囲み
ライフル銃を小脇にウロツク金が、見え隠れした

イメージ 33
とても怖くて長い間、生きた心地がしなかったと・
2012年1月をもって"ふじみや旅館"は廃業

イメージ 29
偶然にもそんな事件現場に遭遇したのでした 
女将お手製の「お茶の佃煮」絶品で、
帰りに少し分けて頂きましたよ 


イメージ 30

 

 アチャァ・・翌朝も恐怖の体験 

次回