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2016.8.9
2度目の「恐山」は、45年ぶりだ
それは、地獄といわれ生死の接点 

荒涼の地で、恐ろしくも何か神聖な儀式のような、

遠くなった記憶の隅で、意外と鮮明に思い出すのは
多くの「いたこ」達に群がる人たちの
見たことのない それはそれは、
忘れる事の出来ない人の表情だった 

動画編
タイムライン






外輪山は釜臥山、
大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰

恐山は、地蔵信仰を背景にした死者への供養の場として知られ、
古くから崇敬を集めてきた。下北地方では
「人は死ねば(魂は)お山(恐山)さ行ぐ」と言い伝えられている 



せが行われたのは戦後になってからであり、恐山にイタコは常住していない。

また恐山菩提寺はイタコについて全く関与していない。
むつ市には定住していない 



イタコには霊的な力を持つとされる人もいるが、実際の口寄せは心理カウンセラー的な面も大きい。その際クライアントの心情を読み取る力(一種のコールドリーディング)は必須であるが、本来は死者あるいは祖霊と生きている者の交感の際の仲介者として、氏子の寄り合い、祭りなどに呼ばれて
死者や祖霊の言葉を伝える者だったらしい 


近代においては山中に硫黄鉱山が建設され、
硫黄の採掘が行われていた時期もあった



「汝、国に帰り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり。地蔵大士一体を刻しその地に仏道を広めよ」という夢告をうけた。円仁はすぐに帰国し、夢で告げられた霊山を探し歩いた。苦労の末、恐山にたどり着いたといわれる[1]

「お地蔵さん」 は「地蔵菩薩」のことです

大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の
大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる

一般的には「子供の守り神」として信じられており、
よく子供が喜ぶお菓子が供えられている

地獄をあらわすものが108つあり、全て夢と符合するので、



霊場内には多数の積み石が見られ、独特の景観を形づくっているが、これは地面から噴出する有毒な火山ガスを空気と効率よくなじませる意味合いも持っている。また風車も数多く置かれているが、これにも火山ガスの風下に入らないための工夫の意味合いがある


全て窓を開けて入らないといけない・古滝の湯と冷抜の湯は、女湯 


混浴風呂は、「花染の湯」




鳥がほとんどおらず、草木も生えず、賽銭がひどく腐食しているのは、




三途川の名の由来は、初期には「渡河方法に三種類あったため」
善人は金銀七宝で作られた橋を渡り、
軽い罪人は山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡り、
重い罪人は強深瀬あるいは江深淵と呼ばれる難所を渡る、
とされていた 



女性の渡河
10世紀中頃の日本の俗信として、「女は死後、初めて性交をした相手に手を引かれて三途の川を渡る」というものがあった[5]。また、『蜻蛉日記』の作者は、三途の川を女が渡る時には、初の男が背負うて渡る—といった意味の
歌を詠んでいる そうな 






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