2016 北海道ツー 15日目 寄り道編 ②  田舎館村・田んぼアート  禅林街・象潟・酒田 秋田・山形ルート ブログ&動画

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2016.8.10
見事な曲線の「鶴の舞橋」からすぐの青森県田舎館村 
近頃は、あちこちで「田んぼアート」が、騒がれているけど
1993年村起こしの一つとして始まったそうな
 2010年以降になるとこれが日本全国にまで広まり、
  全国田んぼアートサミットも開催されているね 
 
禅林街33の曹洞宗の寺院が林のように並木道
山形県酒井市 日本一の大地主として知られた酒田の本間家
おもてなしの心」や商人としての気概、地域貢献の精神は、
 今も酒田の人々に語り継がれています 
 
 
動画編
 
 
タイムライン
 
 
岩木山の雄姿を眺めながら田舎館村へ 
 
田舎館 青森県中央部、津軽平野に位置する
 
田舎館城址中世城郭の跡地 垂柳遺跡 
 
田んぼアート田んぼをキャンバスに見立て、
  の異なるを植えることで巨大なや文字を作る 
大規模なものの多くは斜め上から見る前提で図案を設計し、
 これに基づいて遠近を考慮して植えられている 
 
 
 
元和元年(1615)には城下町と禅林街との出入口部分に枡形土塁が設けられ、禅林街全体が弘前城の出城や郭のような軍事的な施設的存在として位置づけられていました 
黒門のある上寺通りに20ヵ寺、赤門のある下寺通りに12ヵ寺、
上寺通りから離れた場所に1ヵ寺の合計33ヵ寺 
 
全てが曹洞宗という全国的にみても類例がない寺院街で貴重な存在 
津軽氏城跡 弘前城長勝寺構」
 
 
仏語・解脱に至る方法である3種の三昧 (さんまい) 
一切を空と観ずる空解脱
一切に差別相のないことを観ずる無相解脱
その上でさらに願求 (がんぐ) の念を捨てる無願解脱
三三昧 (さんざんまい)  
 
 
 
秋田も見所の宝庫だ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ミスコースも早めに気付いて 
 
酒田を代表する廻船問屋
江戸時代を通じて繁栄し、
日本海海運に大きな役割を果たした姿を今に伝えております 
 
井原西鶴の「日本永代」にも紹介されたほど 
本間氏(ほんまし)は佐渡本間の分家で、山形県酒田市を中心に農地解放による解体まで日本最大の地主だった家
本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」という歌も詠まれ、
  琵琶湖の所有者でもあった 
江戸時代は他に北前船交易の盛隆もあり三井家住友家に劣らぬ大商家
本間ゴルフ創業者の本間敬啓、裕朗兄弟は酒田本間氏庶流にあたる 

 
    ヤッパリ此処は、
 
       寄って行かなければね 
 

 
 
 
 

晩秋の甲州路と中山道 宿場巡りツーリング  第三幕 岡本太郎も絶賛の石仏  和田宿そば師の絶品蕎麦 ^^! ブログ&動画

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2017.11.5
信濃国一之宮 諏訪大社下社春宮と川を挟んで鎮座している 
 何とも不可解な石像が、「万治の石仏
  あの岡本太郎レベルではないと解らないようだね 
中山道一の難所を控えた和田宿にある
 拘りの蕎麦師 徳田偉そば技 
 
 
動画編
 
 
 
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長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)出身の小説家新田次郎万治の石仏を賞賛しており、新田は万治の石仏イースター島の石人の頭部が日本へもたらされたとする大胆な想定を行い、この想定を基に
小説「万治の石仏」を書いている 
 
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この石仏は自然石で石質は安山岩でつくられています
 
 
 


 
 

元治元年(1864)11月20日水戸浪人(天狗塔)の総勢千余名が、和田峠で、待受けた松本・高島藩士と争い、多数の死傷を出した。それを慰霊する塚
 
塚の周りは多数の桜の木があり、開花時には見事だそうだ 
 
 
 
筑摩山地を越える峠の一つ
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中央分水界にあり、峠の北側は千曲川を経る信濃川水系で水は日本海に注ぎ、峠の南側は諏訪湖を経る天竜川水系で水は太平洋に注ぐ
 
 
 
 
 
国道142号に昇格してからの和田峠は、対向2車線を確保できない狭隘ぶりから、年々増加する自動車交通を捌ききれなくなったため、代替路として大きくルートを変え、低い標高の新和田トンネルで貫通する
 
 
 
 
 
 
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和田峠の戦い
 
1864年12月18日元治元年11月20日)、和田宿から下諏訪宿へ向かって峠を通過した水戸浪士天狗党高島藩松本藩連合軍が交戦し天狗党が勝利した
 

 
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日本橋から50番目の一里塚
 
 
 
尾根道のビーナスライン旧霧ヶ峰有料道路中山道と交わるかたちで通っており、旧道のトンネルの長和側出口付近で接続されている 
 
ビーナスラインが有料だった頃は料金所が設置されていた 
 
 

 
 

 
 
 
冬季の降雪も多く、中山道最大の難所 このため、途中に何箇所か旅人のための避難所や茶屋が設けられていた これらの茶屋は「西餅屋(下諏訪宿側)」「東餅屋(和田宿側)」接待(和田宿側)」などと呼ばれ、
 
いまでも地名にその名を残している
 
 
 
 
 
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中山道は、江戸幕府によって整備された街道であり、平均すると2程度の間隔で宿場町が置かれていたが、この和田峠は険しい山の中にあり、
 
峠の江戸側の和田宿と京都側の下諏訪宿の間隔は実に5里半弱と長い
 
 
 
文久元(1861)年3月 大火で 大半を焼失したが  
既に 皇女・和宮の 宿泊が決まって
いたため  慌ただしく 昼夜兼行で再建復旧につとめ 
無事迎えることができた 
 
 
 
 

 
 
 
12:50
 
 
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三種盛」手前の黄色っぽいのが「韃靼蕎麦(だったんそば)」
 
中ほどの白いものが「更科蕎麦奥が「田舎蕎
 
 
 
 
 
 
 
さぁ・次は、長久保宿へ 
 

2016 北海道ツー 15日目 寄り道編 ①  巨大な土偶の青森津軽の木造駅  日本一の太鼓橋・鶴の舞橋にウットリ ^^! ブログ&動画

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2016.8.10
青森県つがる市ライダーズハウス 
 花田ホームの倉庫2F『元気がでる家
  五所川原立佞武多(たちねぷた)のために逗留している輩もいたね
JR五能線 木造駅は、巨大な土偶が、
   駅舎にへばり付いているのにビックリ 
そして小生のリクエストで寄ってくれた・・「鶴の舞橋
 TVのJRCM・吉永小百合と見事な太鼓橋岩木山
  残念・・小百合ちゃんは居なかったけどね  

 
動画編
 
 
 
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太宰治天下茶屋に逗留・・
 
 
 
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津軽富士見湖(つがるふじみこ)または廻堰大溜池(まわりぜきおおためいけ)は、青森県北津軽郡鶴田町に存在するため池である。 2010年(平成22年)3月25日農林水産省ため池百選に選定された[1]
特に堤長は延長4.2 km日本最大の長さである 
 
 
名の由来は、「鶴が舞うごとくに美しい」という意味が込められており、休憩所を鶴の胴体に見立てると、アーチ状の橋梁部が鶴が羽を左右に広げているようにも見えることが特徴である[2] 
津軽富士見湖には、タンチョウヅルが飼育されている湖畔の丹頂鶴自然公園と、富士見湖パークとを結んでいる「鶴の舞橋」が架かっている[2 
 
 
 
岩木山津軽富士)の見晴らしが良いために、古くから「津軽富士見湖」の愛称で親しまれる岩木山を水源とする自然流水の貯水池で、青森県下最大の人造湖である。廻堰大溜池は、この貯水池の正式名称である[2]
 
 
 
湖畔には津軽富士見温泉があり、町で飼育する丹頂鶴も見る事が出来る


    
    いゃぁ・・美しい
 
     増々、青森が、好きになりましたよ 

晩秋の甲州路と中山道 宿場巡りツーリング 第二幕  酒蔵・真澄 諏訪大社下社秋宮・ 甲州道と中山道の合流地点だ! ブログや動画

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2017.11.5
甲州 台ヶ原宿金精軒 信玄餅や和菓子の美味 
酒蔵七賢」の酒粕をグッと我慢して 
絶景の八ヶ岳エコーラインと立沢大橋 
信州諏訪大社のご宝物「真澄の鏡」の酒蔵真澄
えぇ・・絞り時期ではないので、販売は無し 
甲州中山道合流地下諏訪宿
 
動画編
 
 
タイムライン
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道路標識が無いので、ノンさんの第六感が、ナビより頼りになります 
殆ど車が通ることが無いのだろうね 
流石、ノンさんの動物的な感だね 
 
 
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           まるで北海道の三国峠だね
 

 
 
 
優良な清酒酵母として現在でも全国の酒蔵で使われている
七号酵母」の発祥蔵 
発祥の地・諏訪蔵と、八ヶ岳の麓の富士見蔵
真澄はこの二つの酒蔵で造られています 
 

 
 
 
 
 
 
 
下諏訪宿は、諏訪大社下社門前町として発展したが、甲州道中との追分であったことから旅人、商人などの宿泊も多く大変賑わった宿場 
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甲州街道追分 錦の湯地点で中山道は直角に右に曲がっている
角に脇本陣跡の《まるや》があり、向かいは旅籠だった《桔梗屋》である
直進する道は甲州街道で、この地点が終点である
難所和田峠塩尻の間にあり旅人にとって格好の休憩地だった 
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 宿場の中で甲州街道が分岐する追分でもあり、
  本陣1、脇本陣2、旅籠屋40軒と大きな宿場だった
 
 
文化2年(1805)に描かれた「綿の湯」前の情景 

松尾芭蕉も入湯したという「綿の湯」があった場所の石碑
 
 

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ここには問屋場もあり、大変賑わっていた

諏訪大社下社秋宮境内には、龍の口から温泉がこんこんと湧く御神湯がありまた、樹齢700年の《根入りの杉》と呼ばれる夜泣きに霊験ある杉もある
 
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秋宮社叢に欅の巨木もある
専女の欅》と呼ばれる樹齢1000年の下諏訪町指定の天然記念物である
 
 
 
 
一里塚の少し先が宿場入口で800mほど町並みが続いていたとのこと
歴史民族資料館 桔梗屋から50mほど先に、旅籠屋当時の建物
その先にも街道時代の雰囲気ある建物や湯口が散見される
国道に合流する地点が宿場の出口 
 
 
 
 
 
                 さて・・・ 

日光ぶらぶら探訪ツーリング ⑤  鳴龍と二荒山神社 いろは坂と中禅寺湖でのんびり ^^! ブログや動画

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2017.9.29
素晴らしい日本の伝統芸術最高峰東照宮
 家康本地仏を本尊とした鳴き龍で有名な「薬師堂
  日光三山古来「二荒山神社」から「いろは坂
   絶景の「明知平」から「中禅寺湖」へ
  晴天の下、癒しのルートは、気持ちいいw 
 
 
動画編
 
 
 
タイライン
 
 
 
創建 1636年(寛永13年/江戸前期)
再建年(修繕)2013年(平成25年)
一重入母屋造 銅瓦葺 寛永の大造替の時に建てられた日光東照宮での
最大規模の建物で「総漆塗極彩色」豊かな華麗な建築物
神仏分離令によって、輪王寺日光東照宮が切り離されてしまい、
輪王寺の管轄になってしまったため寺院としての扱い 
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後世において乱世を終わらせ100年の平和を築いた家康公薬師如来
生まれ変わりとして信じられるようになりました
家康公の姿を具現化させた本地仏薬師瑠璃光如来」をご本尊に据え、祭祀していることから「薬師堂」もしくは「本地堂」と呼称されています
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残念ながら撮影ができません 
龍の顔の下で拍子を打つとカーンと音が鳴ったあと音が共鳴し、鈴を転がしているような龍の鳴き声に聞こえるためそう呼ばれているそうです
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拍子を鳴らす場所、顔から離れた場所によっては音が共鳴しなく、
全く鳴かない場合もあります 
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         別名、「鈴鳴龍」とも呼ばれています
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1905年ごろ、天井に住みついた鳩を追い出すために、手を叩いた時に龍が鳴いているような現象が発見されて、「鳴き龍」と広まったと言われています
なお、薬師堂は1961年(昭和36年)に火災によって焼失してしまったため、現在の建物は再建された物です。この時、狩野永真安信によって描かれた龍も焼けてしまったため、現在の鳴き龍は日本画の巨匠・堅山南風によって復元
されたものです
 
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古くより、霊峰二荒山(ふたらさん・男体山)⇒標高2,486㍍
神の鎮まり給う御山として尊崇したことから、
御山を御神体山と仰ぐ神社で、日光の氏神でもあります
輪王寺 - Wikipedia
日光市内に3社鎮座しています
 男体山山頂  ⇒ 奥宮
  中禅寺湖畔  ⇒ 中宮
  山内(市内)  ⇒ 御本社

霊場としての日光の始まりは、下野国の僧・勝道上人735年-817年)が
北部山岳地に修行場を求め、大谷川北岸に766年天平神護2年)に
紫雲立寺(現在の四本龍寺の前身)を建てたことに始まるとされる
二荒山神社の創建は、上人が767年神護景雲元年)二荒山(男体山)の
神を祭る祠を建てたことに始まるとされる 
実際には太郎山神社周辺で古代の祭祀の痕跡を示す遺跡が見つかっており、
相当古くから聖地として信仰対象であったことがわかっている 
1619年元和5年)には、徳川秀忠によって本殿が再建された
江戸時代までは、神領約70郷という広大な社地を有し
今日でも伊勢神宮に次ぐ面積を有している 
 
 
 
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濃霧と小雨の闇は、ヘッドライトとLEDフォグを全灯しても
かなり心細い下りだったことを思い出すねぇ 
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紅葉の時期なると・この様な状態に
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渋滞必至 
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個々のカーブには音に対応する文字板が建てられている
 
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明智平は標高1,473mに位置し、食事やお土産を買えるドライブインや明智平展望台につながるロープウェイがあります
明智平の名前の由来は、なんとあの明智光秀が名づけ親だといわれている
昔、山崎の合戦で比叡山に逃げ、「天海僧正」を名乗るようになった明智光秀が、
自分の名前をどこかに残しておきたくて、日光で一番眺めが良いこの地に
明智平」と命名したと伝えられているそうです 
ここまでは2車線で一方通行ですが、
明智平を過ぎると中禅寺湖まで対面通行 
 
開業は1933年・その後一旦は不要不急線として撤去
1950年に復活 かつては東武日光駅から路面電車とケーブルカーで
明智平までアクセス出来たそうな・
 

英国大使館別荘記念公園 | 日光自然博物館
イタリア大使館別荘記念公園

 
寺伝によれば784年延暦3年)、日光山の開祖である勝道上人が船で湖を
遊覧していた際に、湖上に千手観音の姿を感得し、
桂の木に立木のまま千手観音像を刻んだ。
この「立木千手観世音菩薩」を本尊として、中禅寺が開かれた 
愛染堂 日光山中禅寺は「愛染かつら」の撮影地 
歌ヶ浜(うたがはま)は、中禅寺湖の東岸に位置し、
湖越しに「男体山」や「日光白根山」を展望できる湖...



チョイと小腹が空いているけど先を急ぐことに 
 
 

2016 北海道ツー 14日目 ③ 寄り道編  日本の秘境 仏が浦から十三湖  津軽の温泉と居酒屋で ^^! ブログや動画

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前回
 
2016.8.9
恐山から海峡ライン仏が浦へ 
津軽海峡に面し下北半島西岸のほぼ中央部に位置する景勝地 
 ~自然が創り出す圧倒的な芸術空間~ 
むつ湾フェリーで、下北半島から
陸奥湾の美しい景観を観ながら津軽半島へ渡る 
懐かしい十三湖から五所川原へ
 
動画編
 
 
 
タイムライン
 
 
 
 
 
日本の秘境 地獄と極楽を表す恐山・仏が浦
 
約2000万年ほど前、 日本列島がユーラシア大陸から分離する際に、大規模かつ長期間に渡る海底火山活動が起こり、その火山灰は日本海沿岸各所に堆積して、厚い凝灰岩の層を形成した 
侵食は今もなお続いており、岩が崩れ落ちる音が聞こえてくるそうな 
 
 
 
 
 
これで一つの岩で形成されている 
 
如来の首と呼ばれる岩
ちょうど仏様の横顔のようにも見えると言われる
 
 
その昔 仏ヶ浦に流れ着いたお地蔵様を祀っているお堂
冬の荒波の影響で流されたことがあるそうですが、そのたびに仏ヶ浦に戻ってきたとされる逸話もお持ちのお地蔵様 
 
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港内はチカ釣りやサビキ釣りの小物が中心。赤灯台、白灯台の両防波堤とも投げ釣りがよく、秋から春はカレイ、初夏から秋はキスを中心に狙える。北側の東屋から防波堤途中まで続くテトラ帯はアイナメソイドンコが濃いので、探り釣りやルアーが良。防波堤のキワを丹念に探る。防波堤先端は時季によりヤリイカも狙える。向かいの白灯台防波堤は夏から秋はクロダイの釣り場。
蟹田川はちょい投げのハゼに、ルアーでスズキヒラメを狙うのも
面白いそうな・
 
青森県青森より三厩、小泊を経て五所川原に至る鉄道」で、
  津軽半島馬蹄形に巡る鉄道の一部 
このうち、西側の五所川原駅 - 津軽中里駅間は
1930年に津軽鉄道線として開業している
 
 
 
 
 
 
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ゆっくりお湯につかって津軽の美味に舌鼓 
 

晩秋の甲州路と中山道  宿場巡りツーリング 第一幕  台ヶ原宿で生信玄餅 ^^! ブログ&動画

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前回
 
2017.11.5~6
すっかりも深まり紅葉の便りも多くソワソワしている処に 
ノンさんからの嬉しいツーリングのお誘いが、
今回のテーマは、
1日目、甲州街道中山道宿場巡り
2日目、軽井沢宿横川釜めし碓氷峠66パーミルめがね橋
 
前回ブログの続きとなりますね
 
 
動画編
 
 
 
 
タイムライン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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台ヶ原宿(だいがはらしゅく)は、甲斐国甲州、現:山梨県)の北西部、
甲府諏訪を結ぶ甲州街道甲州道中、現:国道20号旧道)のちょうど中間あたりにあり、江戸日本橋から40番目、4310あまりの距離にあった
宿駅である[1]。江戸時代に甲州街道の宿場として栄え、本陣脇本陣と14軒の旅籠を中心に宿内に総家数153軒が並び、宿泊と逓送[注釈 1]を機能していた[1]明治期以降の鉄道開通や最寄り駅の設置に伴って宿場としての地位を失ったが、現在も当時の旅籠や商家の面影がしのばれる街並みが街道沿いに
kmにわたって残されており、昔から屋号でよばれる家が多い  
 
戦国時代織田信長が、武田勝頼を追って甲斐国を侵攻したときにこの地に
宿営したと伝えられている[1]。以前から通じていた古道が慶長6年(1601年)に東海道伝馬制が定められた翌年(1602年)から、他の四街道(中山道甲州街道奥州街道日光街道)の宿駅整備が順次行われていった際に、元和4年(1618年)に宿請が申し渡されたことに始まるとされている 
 
宿場の通りの中ほどにある酒蔵の北原家は、当時の木造建築がそのまま残されてた豪壮な構えの居宅としてよく知られ、1880年明治13年)に明治天皇の巡幸の際に行在所となった史跡の石碑もある[1]
1986年昭和61年)8月10日に歴史性と親愛性を基準に、
宿場街・台ヶ原宿のたたずまい」として旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された「日本の道100選」に選ばれている 
山梨県の北西部、北に八ヶ岳、南西に赤石山脈南アルプス)前衛の主峰で「日本百名山」の甲斐駒ヶ岳などの2000 m超級の山々に挟まれた、八ヶ岳南麓の台地上の高原地帯の南に位置する。北に釜無川、南に甲斐駒ヶ岳を水源とする「名水100選」の尾白川が西から南東方向へと流れ、両河川に挟まれた
河岸段丘の上にある。台ヶ原宿から南に1 kmほどの所に尾白川と釜無川
合流点があり、対岸の岬には甲斐富士見三景の一つに数えられる名勝花水坂がある[1]
 
三つの日本百選に恵まれたこの地で、明治三十五年より本物の和菓子を丹精込めて作り続けて今日に至っております
 
 
清酒七賢醸造元山梨名醸の酒粕を活用し、カステラ状に焼き上げましたところ、 今までに全く無い味が生まれましたと・
世界最先端の冷凍システムCSA
細胞蘇生システムとは、水を瞬時に凍らせることで氷晶化を防ぎ、細胞膜を無傷に保つことができるため、凍結しても細胞が破壊されず、解凍後には鮮度が生き生きと蘇る技術を駆使している
 

信玄餅は本物のお餅

国産餅米粉は品質が大変優れています。その味と風味を生かすために通称 「求肥(ぎゅうひ)」と言われる日持ち加工をぎりぎりまで抑え、餅米の配合比率に着目しています。そのため鮮度が生命です。やっぱり搗き立てのお餅は格段においしい ごまかしのきかないお米のおいしさ 
 
 
 
 
極上生信玄餅 山梨が誇る梨北米を100%使用し、お米のうまさを引き立てる為お砂糖を従来品の半分にしました。 「生」だから工場直売でしか販売しておりませんと・
 
毎年9月23日には沿道の荒尾・田中神社で民俗行事の「虎頭の舞」が奉納される。10月中旬〜下旬の週末に、骨董品・クラフト作品や地元産の農作物の市が並ぶ「台ケ原宿市」が開催され、宿場の街道は多くの人出で賑わう
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おぉ・・これ是非 食べたい 
■水信玄餅はその場で召し上がっていただくお菓子です
信玄餅は運搬やお日保ちといった
一般的に考慮されるべき販売条件を一切無視して作られております。
 形が崩れてしまう為、車での運搬ができず
常温に晒すと水が染み出し続けて寒天がしぼんでしまいます。
 作ったその日にご来店いただいたお客様にのみお出ししているお菓子なため、お持ち帰りやご予約ができません。と・残念 
■「水信玄餅」ってどんなお菓子?
金精軒は、名水の里で名高い山梨県北杜市白州町は国産のミネラルウォーター生産量日本一になるほどの採水地になっており、ウィスキー、日本酒の製造がおこなわれているなど、お水の綺麗さ美味しさは指折りの地域です。
   このお水を寒天で固めただけのシンプルな水菓子が水信玄餅ですと・
 
 

    先ずは、絶品スィーツでしたよ