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『命の言葉 令和元年八月 昭憲皇太后』 “涼”を求めて「荻窪神社」&「ロケット発祥の地」「中島飛行機」跡

前回

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生命の言葉

神社は心のふるさと 未来に受け継ごう 「美(うるわ)しい国ぶり」

令和 元年 八月
 
 
 日にみたび 身をかへりみし
   古(いにしへ)の 人のこころに
     ならひてしがな
 
 
昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)
明治天皇の皇后
【ご誕生】
嘉永二年四月十七日
【お印】
若葉(わかば
【ご陵所】 
伏見桃山東陵
 
一世一代の仮殿「大嘗宮(だいじょうきゅう)」
大嘗祭(だいじょうさい)の中心的な儀式を行うために新設される古様な宮殿を「大嘗宮」といいます。
大嘗宮は、一世一代の仮殿として非常に短期間で造殿されること、また大嘗祭後には取り壊されることが定められており、神宮ご遷宮のように二十年の月日に耐えうる堅固で美しい白木の造りではなく、杉皮を剥がぬまま用いる黒木造りの簡素な構造です。東西二十一丈四尺(約六十五m)、南北十五丈(約四十六m)を測って宮地とし、まわりを柴垣で囲み、中心から半分に分けて東を悠紀院(ゆきいん)、西を主基院(すきいん)とし、それぞれに悠紀殿・主基殿を設け、大小三十七ある建物は全て回廊で結ばれます。
大嘗祭当日の夕刻、天皇陛下は廻立殿(かいりゅうでん)にて潔斎(けっさい)をされ、純白の生絹の御祭服にお着替えの後、廻立殿より悠紀殿にお出ましになられ「悠紀殿供饌(きょうせん)の儀」が執り行われます。続いて翌深夜より未明にかけて天皇陛下は廻立殿より主基殿にお出ましになられ「主基殿供饌の儀」が執り行われます。
今月の祭日
【八月十五日】
都内戦災・震災殉難者慰霊祭(於: 東京都慰霊堂
御霊に慰霊の誠を捧げ、御霊の平安をお祈り申し上げます。
 
 
梅雨が明けたと思ったら連日の猛暑 ( ̄▽ ̄;)

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毎朝の犬の散歩は、5:00前に・・それでも帰りは、30度弱 💦

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どうしても日陰の多い神社仏閣へ・・
鳥居の隣に石の輪があります。この輪を三回くぐって参拝するそうで、

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荻窪八幡神社

御嶽神社、稲荷神社、須賀神社琴平神社、祓戸神社の5つが合祀されています

そのお隣には猿田彦神社

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荻窪神社の画像

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社号が「八幡神社」ですので、武運の神である八幡神をご祭神とする八幡系の神社になります。総本社は大分県宇佐市にある宇佐神宮です

ご祭神は応神天皇(おうじんてんのう)で、応神天皇八幡神と同一です

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境内にある大きな槇(まき)の木は、室町時代江戸城であった太田道灌が、戦勝を祈願して植えたものと言われています。現在もこの木は残っていて、御神木として崇められています。1477年に植えられたと伝えられていますので、500年以上前に植えられたものが、今も境内にあることになります

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創建は寛平年間と言われています。遣唐使が派遣された頃ですので、かなり歴史の古い神社です。この辺りが上荻窪村と呼ばれていた時代から、人々に厚く信仰されていました

平安時代には、源頼義が立ち寄った際に戦勝を祈願し、凱旋の折に厚く祀ったと言われています

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なる程ねぇ・f:id:ek0901:20190801101810p:plain

 

 

R中央線・西荻窪駅の1kmほど北、日産自動車の旧 荻窪事業所があった場所。現在は工場敷地の一部が日産の販売店となり、その他の広大な敷地は、住宅団地とクイーンズ伊勢丹 この場所には、日産自動車になる前はプリンス自動車工業、その前は富士精密工業という会社があった。中にペンシルロケットの実物大模型が入っている❕

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日本におけるロケット技術の開発は、糸川英夫教授率いる東京大学生産技術研究所が、民間の機械・化学メーカーと協力して推進した「ペンシルロケット」が最初である。1955年には、全長わずか23センチのペンシルロケットの発射実験に、また全長1メートル余のベビーロケットの発射実験に成功し、その後のロケット開発の基礎を作った

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この碑と同じ場所にこの碑が並んでいる

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太平洋戦争までの日本の飛行機メーカー(三菱、川西、愛知、九州、日本、日立など)の中でもトップクラスのメーカーだった中島飛行機は、群馬県太田市に本社があった(現在:富士重工業)が、1924年(大正14年)にエンジン専門工場として、ここ荻窪の地に工場を建設した

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中島飛行機の栄光(1953年) | トヨタ自動車のクルマ

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中島飛行機の画像
 

シャワーを浴びて遅い朝食

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この暑さでは、家内のパン焼きも久々

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バージンオリーブオイルに塩&胡椒を混ぜて浸して・・ナイス ❢

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冷たいミルクが、また・・いいねぇ 🐄

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そうそう・・先日の千葉ツーで買い求めたジャム

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