kzのブログ
全体表示
前回
2017.5.27
この時期、例年では見る事の出来ない中田代の雪原
でも北へ行く毎に雪深く足元が、悪い ヨッピ橋から東電小屋
残念ながら 燧・至仏ヶ岳の雄姿も観えず
「三条の滝」をカットし見晴地区へ
動画編
タイムライン
交わる所に位置する
昭和の初めに木製の橋として架橋されたが、何度も水害で流され
鉄製に架け替えられた。冬季には踏み板が外されるそうな
尾瀬ヶ原を一望できる場所に位置することから、ハイカーの方々に人気のある東電小屋。もともとは、昭和の初めに関東水電という当時の電力会社が、降水量調査のために建てたもので、当時は「水電小屋」と呼ばれていました。
その後、東京電力の前身である東京電燈に引き継がれ、この時から
「東電小屋」と呼ばれるようになったそうな
度重なる戦争や震災で大規模な開発が難しかったこと、また、当時から
尾瀬の自然は守るべきだという声が強く、政府内も二分されていたことなどがあり、計画が実現しないまま、尾瀬は1951年(昭和26年)の東京電力設立時に、前身の会社から引き継がれたのです。それが、尾瀬と東京電力の出会いの始まりです。現在、尾瀬国立公園全体の約4割、特別保護地区の約7割の土地を所有し管理ています
日本には、現在31箇所、面積にして約210万haに及ぶ国立公園がありますが、その約四分の一は私有地です。特に伊勢志摩国立公園では約96%が私有地となっています。このように、国立公園の中に私有地があること自体は珍しいことではありませんが、尾瀬のように特別保護地区の7割という大部分を一つの企業が所有しており、しかもその保護に長年関わっているという例は
非常に稀有であるといわれています
明治から大正にかけての時代は、人々の暮らしに電気が入り始めた頃で、その需要は急速に高まっていました。そのため、当時発電の中心であった水力発電の建設をすすめることは、国を挙げての大きな課題でした。
そこで、尾瀬の豊富な水を発電に生かそうと、1916年(大正5年)、当時の電力会社(利根発電)が尾瀬の群馬県側の土地(群馬県側だけは当時から私有地となっていた。福島・新潟県側は当時も今も国有林)を取得、1922年(大正11年)には関東水電が水利権(河川や湖沼の水を利用する権利)を取得しました。
三条の滝とは、
落差100m、幅30m(諸説あり)の直瀑で規模としては日本最大級
水量の多いときは豪快な景色を見る事ができるそうな
どれも長丁場で、また、途中危険な箇所もあるので安易な遡行は避けたほうがよい。登山道としては滝壷までは降りる事はできないが、近年旧展望台の下に新展望台が設置され、かなり近くまで寄れるようになったため、障害物がなく滝の全容を見る事ができるようになった。また、少し上流には、毛色の違う
平滑の滝があり、こちらもまた、別の意味で見ごたえがあり尾瀬ヶ原からのコース沿いに見る事ができる・・そうな
全く木道がどこだか分からないが、足跡と僅かな目印が頼りだ
ノンさんは、ベテランの判断でルートカット
後日、確認するとヤハリ積雪のために通行止めの措置が取られていた
向かった方たちも途中で引き返すことになるだろうに
右ルートから来たハイカーは、富士見峠からだね
弥四郎小屋
弥四郎小屋の休憩所では、香りのいい入れたてコーヒーが飲める
弥四郎清水が目の前から湧き出しています
宿泊者が少ないので、ガラガラなんですね
満腹で、
かなり早い時間に就寝
|