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2016 北海道ツー 5日目 ② 積丹半島の海岸線 西側:カブトライン にしん街道=雷電国道 神の領域:神威岬 「シャコタンブルー」 ^^! ブログ&動画

前回
 
2016.8.2
美しいニセコの山間を抜けて積丹半島の西側 
 日本海ソーランラインからカブトライン
  にしん街道雷電国道を北上し 
   念願の「神威岬」は、シャコタンブルー
    が奨めた女性執念怨念の恐ろしさを知る
     ・・の領域に感じた神秘な岬だった 
 
動画編
 
タイムライン
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積丹半島:地名の由来はアイヌ語シャクコタン夏の村
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地質学上では那須火山帯に属する後志火山群の延長上に位置する
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江戸時代から大正末にかけて続いたニシン漁を始め、長らく漁業が周辺町村の経済を支えていたが、近年[いつ?]沿岸漁業不振により、人口流出による過疎化が著しい。近年[いつ?]は観光業に注力しているが、札幌大都市圏に比較的近いながらも、
交通の不便さがネックとなっている。そのため、温泉資源が豊富であるにもかかわらず、雷電温泉盃温泉郷以外は、さほど開発も進んでいない
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近辺は魚介類が豊富であり、ヒラメイカウニスケトウダラタラコ加工も盛ん)などが名物となっている。かつて[いつ?]は檜山や留萌と同様、ニシン漁でも知られ、
一帯はソーラン節の発祥地でもある
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2004年9月台風18号で被害にあったが、2010年4月24日に営業再開
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アザラシイルカ類が定着し、トドとの遊泳を本格的に商業化しているのは
2014年現在、世界でも積丹一帯だけである 
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積丹半島先端神威岬の約10km南に型に突き出し位置するジュウボウ岬の付け根付近一帯は、海岸を形成する奇岩地の果てを思わせる荒涼とした景観を形成している。「蝦夷日誌」(1856年安政3年)松浦武四郎)には
西院の河原と和人が呼ぶ地有り
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積丹半島一帯は船の往来の難所で遭難が多発しており、北海道三大難所
茂津多岬雄冬岬神威岬)のひとつに数えられ、船乗りの間では古くより
地獄の賽の河原と呼ばれて恐れられてきた 
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狭隘な海岸を縫うように走るため、岩盤をくりぬいたトンネルが無数にある 
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薄っすらと煙った景観が、妙に先端へと誘う 
 
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先端部は岩山がそのまま海へ落ち込んでいく断崖絶壁 
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遊歩道最先端付近からは周囲300度が見渡せ、水平線が丸みを帯びて見える 
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日露戦争時にはロシア艦隊の来襲に備えて監視所が設けられていた 
 
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この付近は古くから海上交通の難所として知られていた。
日高地方首長娘チャレンカ源義経を慕ってこの岬まで義経一行の後を追ってきたが、既に海の彼方へ去ったことを知って身を投げ、神威岩になったという言い伝えがある。  チャレンカ嫉妬心女を乗せた船を転覆させたことから
           岬一帯が女人禁制の地になったとされる 
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神威岬から見る積丹ブルーの絶景を満喫してきました!
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積丹半島 神威岬の画像
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もっとも現実は和人が岬から奥地へ定住することで、ニシン漁を始めとした権益を損なうことを恐れた松前藩による規制と考えられている
1855年安政2年)に蝦夷地一帯が幕府直轄下におかれると女人禁制は解かれ、
奥地への定住が進んでいったそうな。
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