kzのブログ

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北海道ツー 5日目 ホクレン&セイコマ バロウからケロチ 客車は格安宿泊所 ^^!

前回

 
2015.7.23
 
今回のツーリングコンビニは、大変に重宝し 
  色々な街で、お世話になりました
 
様々なコンビニも思った以上に店舗展開が、されていて
 
小休止にほぼ毎日、何処かの店に立ち寄り助かった
 
8:30
お馴染みのセイコマに早々に・・コーヒーブレイク 
 
やはり地元の珍しいモノが、あり 
 
  ついつい…試したくなるのは、しょうがないよね 
 
北海道の天然水で、仕立てました」・・・桃のおいしい水
 

あれ、、、
 
お隣には、ホクレンSSが、有ったので、
      ついでに給油していくことに   
 
道内には、沢山のホクレンSSが有り、ライダーには、
 
  お馴染みの地域別の4地域4色違い
 
    オリジナルフラッグを販売している
 
 
 
記念品好きのオジサンとしては、見過ごせない 
 
昔は、無料だったらしいが、販売価格も年々と値上がりし
 
今年は、人気アニメの使用料も乗っかっているらしく
 
150円/1本 ブルーは、道北カラー 
 
地域別4色を集めると写真コンテストに参加して
 
プレミアムな自分の撮った写真を印刷してくれて 第五の旗
 
スペシャル・フラック」を作ってくれるらしい 
 
ライダー達は、荷物にを括りつけて走っている姿を
   よく見かける・・が、本数は、
 
おっさん達は、チョイト気恥しいので、
    パニアケースにしまい込んでしまった 
 
 
 
R238 オホーツクラインから少し入ったところに
 
 
芭露駅ばろうえき)は、北海道網走支庁紋別郡湧別町字芭露
 
 
1935年(昭和10年)10月20日 - 
 
鉄道省湧網西線中湧別駅 - 計呂地駅間開通に伴い開業。
 
電報略号ハロ
 
湧網線廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日廃駅
 
 
湧別町網走市を結んでいた鉄道で、
 
 
サロマ湖オホーツク海能取湖沿岸を通って網走駅に至る
 
地名は、アイヌ語の「パロ」(川口)に由来する
 
 芭露川の河口が大きいことからの地名である
 
 
芭露地区住民により結成された「旧芭露駅保存会」により、
 
廃駅後も20年近くにわたって駅舎、ホーム、レールが保存され
 
駅舎は休憩・簡易宿泊施設として利用されていたが、国道から
 
やや奥まったあまり目立たない場所にあったため訪れる客は
 
少なく、老朽化や地域住民の高齢化過疎化が進んだ為
 
保存が困難になり2006年(平成18年)夏に駅舎が解体、
 
その後ホームと駅名標も撤去されてしまった。
 
 
 
9:00
 
さて、あまりにも何も残っていなかった芭露駅跡から
 
その隣の駅に行ってみた 
 
 
 
 
北海道網走支庁紋別郡湧別町字計呂地にあった
 
 
電報略号ケロ
 
湧網線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月20日に廃駅となった。
 
地名は、アイヌ語
 
ケイ・ラツ」(サケの皮で作ったを忘れた所)
 
ケレオチ」(非常に削られた所)など、由来には諸説ある
 
当時もサロマ湖 - 駅から北に約0.8km、林に遮られて
 
駅からは望めなかったのだ 
 
 
 
旧駅構内は1989年(平成元年)5月から湧別町により
 
湧別町計呂地交通公園」として整備された
 
駅舎、レール、ホームが保存され、ホームに横付けする形で
 
C58形蒸気機関C58 139号機、それに連結して国鉄の旧型
 
客車であるスハ45形スハ45 6オハ62形客車オハ62 91
 
静態保存・展示されている
 
 
駅では手作りの 帆立貝殻きの入場券が発売されていた
 
 
 
スハ45は車内がカーペットが敷きに改装され、
 
      とても快適そうな宿泊施設となっている 
 
 
 
      客車に“素泊り”…¥300 
 
 
北海道は、様々な宿泊処が、格安にできており
 
   長旅には、本当に有り難い・・・
 
     それに 何処も・・・
 
       だぁれ~も 居ない・・・・ もったいないなぁ 
 
 
またまた・・45年も前の九州ツーリングの思いで話を・・
 
当時、学生の分際で、
 
YH(ユースホステル)に泊まるなんて 余程のことでなくては無理 
 
大体が、田舎の屋根付きバス停で一夜を過ごすか 公園で野宿
 
天気が良ければ 其処らへんの草っぱらに そのままごろ寝だった
 
しかしだ・・
 
街中での寝床探しは、難しかったな 
 
 
其れこそ土砂降りで、どうしょうも無い時に京都駅構内で、
 
ゴロゴロしていたら けんもほろろに追い出されれ 仕方なしに
 
オールナイトの映画館に入ったら
 
 
 
 
「待ってました…健さん」とか 
 
 
           「いょ・・お龍さん」とか 
 
 
スクリーンに向い 物凄い掛け声が、朝まで続き 
 
全く眠れなかったことや
 
 
雷雨広島市では、大きな橋の下で眠ろうとしていた小生を
 
不審者として通報され   
 
夜中、駆け付けたお巡りさんに説教を食らったり  
 
今となれば楽しい思い出だ 
 
駅舎は現役当時のままで、鉄道資料室や公園管理棟となってる
 
舎内駅名標行先票閉塞器、通標、備品、乗車券時刻表など
 
湧網線関連資料が保存・展示されている
 
駅横には湧網線開通の経緯が記載された「鉄道記念碑」が建立
 
敷地内には現役当時は存在しなかった跨線橋が設置されている
 
道内には、このような廃線になり廃駅になったりして公園や
 
資料館になって旅人に少しでも安らぎを感じて貰うために
 
地域の方々が、いつも綺麗にされていて そのご努力
 
頭が下がり 感心させられる思いであった 
 
 
 
さて、今日は、天気に恵まれて 
 
充分に楽しめそうだ・・・