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酷暑の佐渡ツーリング 其の⑨『佐渡金山400年の歴史』江戸金山絵巻「宗太夫坑」コース散策ドキュメント ^^!

前回
2018.7.24

チョイと町から離れていたけど
畑野温泉ロハスの館こがね荘
 天然温泉風呂はデカいし 
係の方々の圧倒的な親切対応に脱帽 
 すっかり身もウエアーも洗濯できました 
佐渡コシヒカリ炊き立てご飯は、
 バカ美味で、思わず3杯  


動画編


タイムライン
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今回は、時間短縮の為
「宗太夫坑」へ 
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左は道遊坑右が太夫
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結構な下りの坑道を行く 
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チョイと寒いくらいだね 15℃ 
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沢山の説明看板やアナウス 
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佐渡金山は、1601年に山師3人により
開山されたと伝えられています
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手掘り採掘作業
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水上輪と呼ばれる坑内水の汲み上げ作業
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鉱山の労働者の給与水準も高く、周辺の町は大変栄え 江戸時代後期には江戸から約1,800人の無宿人(浮浪者)・罪人が強制連行され過酷な労働を強いられたが、これは見せしめの意味合いが強かったと言われる 

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産出し製錬された筋金(すじきん/すじがね)および灰吹銀は幕府に上納され、これを金座および銀座が預かり貨幣に鋳造した
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特に銀は生糸などの輸入代価として中国などに
大量に輸出され、佐渡産出の灰吹銀
セダ銀とも呼ばれた

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そのうちの・
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1869(明治2)年に官営佐渡鉱山となり、西洋人技術者を招いて機械化・近代化が図られました

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展示資料館
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1889(明治22)年には、宮内省御料局管轄皇室財産となり、模範鉱山として日本産業の近代化に貢献
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「やわらぎ」儀式に使う仮面 
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歌川広重の描いた佐渡金山

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1896(明治29)年に当時の三菱合資会社に払い下げられ、日本最大の金銀山として拡大発展を遂げました

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道遊坑明治官営鉱山コースも面白そう





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平成元年3月(1989年)残念ながら、
資源枯渇のため操業を休止し、
400年近くに及ぶ長い歴史の幕を閉じました
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坑道を含め、トロッコ、機械工場、粗砕場など多くの設備が操業当時の姿のままで残されているそうな
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人間て・・凄いね

これも

なんで、、丸い「たらい船」


真っすぐ進むのぉ 


次回