前回
2016.8.2
日本海ソーランラインからカブトライン
にしん街道・雷電国道を北上し
念願の「神威岬」は、シャコタンブルー
娘が奨めた女性の執念と怨念の恐ろしさを知る
・・神の領域に感じた神秘な岬だった
動画編
タイムライン
江戸時代から大正末にかけて続いたニシン漁を始め、長らく漁業が周辺町村の経済を支えていたが、近年[いつ?]は沿岸漁業不振により、人口流出による過疎化が著しい。近年[いつ?]は観光業に注力しているが、札幌大都市圏に比較的近いながらも、
積丹半島先端神威岬の約10km南に鉞型に突き出し位置するジュウボウ岬の付け根付近一帯は、海岸を形成する奇岩が地の果てを思わせる荒涼とした景観を形成している。「蝦夷日誌」(1856年(安政3年)松浦武四郎)には
「西院の河原と和人が呼ぶ地有り」
積丹半島一帯は船の往来の難所で遭難が多発しており、北海道三大難所
「地獄の賽の河原」と呼ばれて恐れられてきた
薄っすらと煙った景観が、妙に先端へと誘う
先端部は岩山がそのまま海へ落ち込んでいく断崖絶壁
この付近は古くから海上交通の難所として知られていた。
日高地方の首長の娘チャレンカが源義経を慕ってこの岬まで義経一行の後を追ってきたが、既に海の彼方へ去ったことを知って身を投げ、神威岩になったという言い伝えがある。 チャレンカの嫉妬心が女を乗せた船を転覆させたことから、
奥地への定住が進んでいったそうな。
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