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2016 北海道ツー 初日 1 福島の「塔のへつり」から「大内宿」へ 寄り道 ^^!

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動画編

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ソロライダー同士は、気楽にお近付きになるね 
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近くまでは、何度か来ているが、初めて寄った
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なるほど・・天然ものですな 
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以前に湯野上温泉に泊まったが、駅を見なかった 
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係員が、複数いて観光客を捌いている 
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事前にノンさんに聞いていたので、尋ねると・・
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少し先の大きな空き地には、地元の軽トラ2台のみ
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・・・ほぉ
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美しい景観だ 
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江戸時代会津西街道(別名:下野街道南山通り)の
宿場として、寛永20年1643年)頃に開かれ、盆地内を
北北東から南南西に貫く街道に沿って整然とした
屋敷割の街並みが形作られた。
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若松から5里の距離にある大内宿には本陣脇本陣
設置され、会津藩参勤交代迴米の集散地として
重要なとなった
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延宝8年1680年)、江戸幕府参勤交代脇街道通行を厳しく取り締まるようになったため、正保元年1644年)から同年まで計21回あった大内宿を通る会津藩参勤交代途絶え白河藩白河城下町経由の白河街道にシフトした
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戸板山(現・葛老山)が一部崩壊し、五十里宿
および周辺の街道が堰止湖に水没
会津中街道物流はシフトしたが、享保8年(1723年)、
大雨によって堰止湖が決壊
競争を余儀なくされた大内宿は、純粋な宿場町ではなく
半農半宿」の様相であった
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岩越鉄道(現・JR磐越西線)が1899年明治32年)に若松駅(現・会津若松駅)まで開通すると、会津関東との間の
物流は会津を通らなくなり、さらに1927年昭和2年)より大川沿いに順次延伸開業していった会津線によって、
大内宿の宿駅としての地位は完全に失われた
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昭和40年代初頭、当地は近代化から取り残されて
  昔のままの生活が営まれているとも評価される
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1992年(平成4年)、
第1回「美しい日本のむら景観コンテスト」の文化部門で、
農林水産大臣賞を受賞
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1996年(平成8年)には「大内宿の自然用水」として
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2004年(平成16年)には
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胡桃粉が、蕎麦に混ぜられているし
漬け汁にもクルミ粉を入れて楽しめる 
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2005年(平成17年)には「手づくり郷土賞」(大賞部門)を
受賞し、「知っていそうで知らない日本の文化の発見
として「わたしの旅100選」にも選定
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観光客数は、2007年(平成19年)には100万人を突破し、
県外からの観光客が90%を占める県内有数の観光地
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大内宿雪祭り - 例年2月の第2に開催される
街道沿いに並ぶ灯籠で知られる
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マメコバチの仕事 
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ゆっくりと・ノンビリト散策ができました 
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・・でも 「くるみ蕎麦」食べたばかりだよね 


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