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そぞろ散歩 竹橋 界隈 橋三昧 ^^! その2 キジ橋と黒門


前回


雉橋 でけんもほろほろ叱られる


内堀通りから水道橋西通りに向う、通称雉子橋通り」 

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雉橋 でけんもほろほろに叱られる』は、

この橋付近で外濠 から平河濠に続いていて、江戸城本丸にも

近かったため警備も厳しかったという。

警備の厳しさとけんけん鳴く声をかけている)。

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日本橋川に架かり、一ツ橋の上流約300mの所にあります。


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江戸時代初期には 「雉子橋 御門」 が築かれていることから、 

御門橋としての 『雉子橋』 はその頃からあったことに なる。

雉子橋を渡ると広小路になっていて前面が清水濠、左に雉橋門

渡櫓があって枡形の西側は清水濠に近接していた。

現在の雉子橋を渡ると左手に毎日新聞社のビルがあり、

その向いに内濠竹橋門が見える。旧平川の流路をたどった

外濠城門はここで終わり、濠はこの先の堀留橋まで通じてい

た。その先は埋め立てられていたが、明治になって掘り返され

小石川門神田川と合流し、日本橋川は運河として利用されて

います

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雉子橋見附門

雉子橋門家康が朝鮮の来聘使を饗応するために雉子を囲った

鳥小屋の所在から門名に名付けたそうな。


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この橋も首都高に上空 を塞がれて暗い橋と成ってしまっています

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全く下の様子は,分からないが、

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雉子橋見附門雉子橋陸奥国または出羽国の大名によって

寛永6年に築かれた。 家康が朝鮮の来聘使を饗応するために

雉子を囲った鳥小屋の所在から門名に名付けたらしい。


大隈重信は、1876(明治元年)年10月から1884(明治17年)年

3月まで、この雉子橋 邸宅(当時の麹町区飯田町1丁目1番地)

に住み、1882(明治15)年10月創立の早稲田 大学の前身、

東京専門学校の開校事務もこの邸宅で行いました。


周辺には大学が、多いが、チョットした休憩所に 


  《黒門》   ☜ 前回は赤門


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なるほど・・黒塗りの冠木門校門だったので、やがて

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黒門の専修赤門の東大・・・を意味したそうな 

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本当に今まで気にもしなかった橋でさえも・・面白いなぁ、

次回