2016 北海道ツー 4日目 ④ 函館本線 「比羅夫」駅 ホームで満腹BBQ  夜更け&早朝風景 ^^! ブログ&動画

前回
 
2016.8.1~2
 
今回、楽しみにしている旅のイベントの一つ 
 
現役函館本線「比羅夫」駅 其の物が、民宿になっていて
 ナント・・ホームで
  列車を見ながらバーベキューに興じることが出来るのだ 
 
動画編
タイムライン
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もう何年も此処へ来て周辺の山登りを一人で、楽しんでいると・・
 同じ杉並区の住人だったね 
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用心に蚊取り線香点けたけどね
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          阿倍 比羅夫(あべ の ひらふ)
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蝦夷征討・粛慎討伐

日本書紀によれば、658年水軍180隻を率いて蝦夷北海道)を討ち、
さらに粛慎樺太)を平らげた。粛慎は本来中国の文献上で満州東部に住む
ツングース系民族(樺太中部以北のはウィルタ)を指すが、阿倍比羅夫に討たれた粛慎と異なるとみられ『日本書紀』がどのような意味でこの語を使用しているのか
不明である。蝦夷以外のオホーツク文化人とも推測され、樺太中部以北に住む
ニヴフを粛慎の末裔とする説もある。翌年には再び蝦夷を討って、後方羊蹄
(シリベシ)に至り、郡領を任命して帰った。「後方羊蹄(シリベシ)」が現在のどこを
指すのかはわかっていないが、江戸時代末期の探検家松浦武四郎により、
北海道尻別川アイヌ語で「シリ・ペッ」=上流が至って高い川、山に沿って下る
山の川)流域と推測され、同地は「後志国(しりべしのくに)」、同地の山(アイヌ語で「マッカリ・ヌプリ」)は「後方羊蹄山(しりべしやま)」と名付けられた。また、幣賄弁島については粛慎の本拠地である樺太とする説や、奥尻島とする説などがある。
 
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白村江の戦い

662年中大兄皇子(後の天智天皇)の命により、阿倍 比羅夫は、征新羅将軍として百済救援のために朝鮮半島に向かったが、翌663年新羅連合軍に大敗した(白村江の戦い)。この敗北により百済再興はならなかった。
 
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北海道鉄道(ほっかいどうてつどう)は、明治時代に存在した私鉄
現在の北海道旅客鉄道JR北海道函館本線函館駅南小樽駅の間を建設した。1906年(明治39年)公布の鉄道国有法により1907年(明治40年)7月1日
国有化された。
 
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チョイト・・恥ずかしさもあったけど 
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小屋の寝心地も良好で、ぐっすり眠れましたよ 
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思い出深いホームの丸太風呂 
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一体、主の輩は、 
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いい香りの「山わさび」 
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今日も1日 山登りを楽しむそうだ 
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ニセコアイヌプリ・スキー場が見えてきた 
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向こうは、藻岩山スキー場が、続くんだね・・
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ノンさん‥名残 惜しいのだろうか 
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  さてさて・・今年もに先を越されたが、
 
良いところだったよ」・・と薦められたへ行くぞぉ