前回
命の言葉:平成二十七年十二月:師走
竹下稲荷神社
神道に書籍なし。天地をもって書籍となし、日月をもって証明となす。 神道には経典がない。
自然から学び、
人々が伝えることで教えとするのである。
吉田兼倶[生]永享7(1435) [没]永正8(1511).2.19.室町時代の神道家。本姓は卜部氏。初名は兼敏。父は兼名。 家は代々神祇権大副として,吉田神社,平野神社の神官であった。 神儒仏三教混合のうえに立って,唯一神道 (吉田神道) を大成した。 文明 16 (1484) 年京都神楽岡に宮を創設し,神祇斎場所として, 天神地祇のすべてを祀り,明応1 (92) 年には神祇官復興の勅許を 得,神祇管領長上と称するなど,該博な知識と政治的手腕によっ て,朝廷,室町幕府に取入り,神道界の支配者となった。 吉田神道(神本仏迹説)を唱え、本地で唯一なるものを神として
アメノコヤネノミコトによって伝えられ
本とは一念未生の本本を明す。
宗とは一気未分の元神を明す。
年の瀬の心せわしいこの季節
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