冬が来る前に 飛越地方合掌造集落 飛騨高山・ 白川郷・五箇山 紅葉ツーリング ⑪ 富山県 五箇山:合掌の里 菅沼・相倉:合掌造り集落 イイねぇ ^^! ブログ&動画

前回
 
2016.11.4
今夜の宿 白川郷の「伊三郎」には、時間があるので、
五箇山」見学に出かける旨伝えて ソロソロ 夕刻迫る頃 
相倉合掌造り集落」へ急いで、向かいました 
 
動画編
 
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R156 飛越峡合掌ライン・・反対方向には、白川郷の合掌集落だが、
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昭和三十三年(1958)五月十四日に国指定重要文化財に指定
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岩瀬家の総体は、間口14.5間(26.4m)・奥行き7間(12.7m)、高さ8間(14.4m)もあり、大黒柱などは一尺(0.3m)角のを、また、24畳敷の出居の敷板にも全て欅材が使われ、しかも釘を一切使わず縄とねそで結び上げて造られています
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岩瀬家は「塩硝役宅」とされ、五箇山で作った塩硝を上納する役目を果たしていました。加賀の役人の宿舎にもなっていたので、居間は書院造りとなっており、材質にはケヤキを使用することを許されていました
囲炉裏では合掌造りについてのお話が聞け、天井裏へ登ることもできます 
 
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下階の炉から暖をとり、風通しをよくする為上階の床板は透かしの目皿 
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加賀藩塩硝を取りまとめ納入する上煮役の藤井長右エ門が、
 天領飛騨白川郷へ、加賀百万石の威光を示した 
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白川郷とともに、大家族制度の地方として有名、この家族の中に一部の使用人が含まれていたことは白川郷と異りますが居住者はすべて
一階(大きな家では中2階も使用)で寝起きしていたことは同様の形態 
 
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塩硝釜など 加賀100万前田藩主他藩に秘して等値で
 塩硝製造を命じた際使用したものなどが展示されている 
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両手を合わせて合掌礼拝する形からであろうが、
 熱心な真宗信仰地帯らしい命名 
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屋根部の木材は落葉樹自然木を、丸太のまま
  または縦に割り裂いたのを用いる 
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これがすべて農民の手によって発達進歩した経過を考慮すると、
 全く地域に根ざし地域の特徴を生かした構造物 
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一階部分の軸部他地域との違いがあり、
  同じ集落内でも多少の相違はあるそうな 
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建築儀礼生産生業暮し方など様々な村風習など集落共同社会の中での
合掌造りは、人間の暮らしと深く係ってくる現れなんだね 
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昭和初期の自動車道開通後は往来筋からはずれ、自動車道の閉鎖される冬期だけの交通路になった。それも昭和45年(1970)にかの有名な峠雪道を往復した郵便逓送隊の廃止となり、ついに交通路線に位置しなくなってしまった。
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・・なんともいい風景だなぁ 
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地形は、北西から南東へかけてゆるやかな傾斜をつくり、標高380m~420mの段状平坦地の集落。後背の山地は急に切り立った岩壁になっていて、
古代の大きな地滑りによる段丘台地、地表の所々に岩石が頭を覗かせている
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現在の戸数や人口は昔に比べると極めて少ない。
養蚕製糸・製紙・製炭の主要産業の廃退と高度成長期の都市部への人口流出による過疎化現象だが、近年は道路網が整備され観光産業の発展で、
相倉集落を訪れる観光客が多くなり活気が甦ってきたそうな・・
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天正年間に建設されたと伝えられており、戦国時代の武家造りから書院造りに移行する過渡期の様子を示すなど、多くの古風、古式の遺構
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火薬製造

塩硝といわれる火薬原料の生産地として加賀藩
重要な役割を担っていたのが五箇山である。
藩にとっては火薬原料の製造は軍事機密となり、
幕府や他藩の目をのがれるのに、山深い秘境の地の五箇山は、
豊富な塩硝を製造するための好条件であった。
300年以上にわたって続いた塩硝製造は、水田のない土地柄ゆえに
五箇山全戸で製造に携わる一大産業となり、質量ともに
全国随一であったと云われてる
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2016 北海道ツー 5日目 ④ 小樽: 北の古き良き街 おやじ二人で そぞろ歩き 色気より勿論・食い気 ^^! ブログ&動画

前回
 
2016.8.2
折角なので、小樽歴史的建造物 が、観光資源として見直しされ
観光都市として脚光を浴びるようになった街中へ・・
北海道商都として栄えた小樽を感じさせる、レトロな建造物に出会うため
小樽っ子」気分で、「坂のまち、小樽」を
少し歩いてみよう 
 
動画編
 
 
タイムライン
 
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                 小樽憲章 大正11年8月28日制定
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小樽は、北海道歴史文化経済大きく貢献した街
明治時代には国際貿易港にも指定され、日本でも指折りの企業や大手銀行が軒をつらね、大変な繁栄ぶりでした 
このため、鰊(ニシン)漁で財をなした親方の鰊御殿や、世界の相場で大儲けした
商人実業家が建てた大邸宅など、豪商たちにより、たくさんの文化的遺産
残されています 
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小樽商人気宇の大きさを味わうことができる、ロマン溢れる街並み 
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小樽は、海から山へせり上がった地形をしているため、多くの坂があります
住民は、昔から日に何度も坂を上り下りしながら、生活しています 
つま先上がりの急な坂を一歩一歩踏みしめながら上り切って、
ほっと振り返ると、
青い海にフェリー、対岸にかすむ増毛連山の絶景が目に飛び込んできます 
 
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・・大したことなくって良かったな 
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見晴らし坂上
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小樽市指定歴史的建造物 第71号 板谷
  海運業などで財をなした板谷宮吉の邸宅を利用している
 
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樽市では魅力あるまちづくりをすすめるために、市内を八つの地区に分け、
それぞれの地区を代表する景観を八つ選びだし、市内全体で64景(8地区×8景)
小樽八区八景として選定
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早春の箱根・伊豆ツー ② 旧東海道  箱根八里の七曲り橿木坂上 甘酒茶屋と忠臣蔵の秘話 嬉し恥ずかし記念撮影 ^^! ブログ&動画 

前回

早春の箱根・伊豆ツー ① 旧東海道 畑宿寄木細工と一里塚 箱根八里の七曲り・まさかの橿木坂 甘酒茶屋で一服 ^^!

 

2017.2.25

何度となく訪れる箱根旧東海道甘酒茶屋に寄ったのは初めて 

13代続く老舗に代々引き継がれた米麹だけの甘さを味わった

そして忠臣蔵秘話の真実が、明らかに 

 

動画編

 

タイムライン

 

 

 

 

箱根八里

 

箱根路は、小田原から箱根峠までの東坂が4里10町(17km)、

箱根峠から三島までの西坂が3里20町(14km)、

合せて約8里(31km)あるところから箱根八里と呼ばれる

 

 

 「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川・・・」

と唄われたように、箱根八里大井川と並ぶ東海道の二大難所

中でも畑宿から箱根峠に至る上りが最大の難所だった 

 

・・箱根越えは、8里(32Km) 1日かかったそうな 

 

文政年間:江戸幕府仁孝天皇は、1817年(文化14)将軍は徳川家斉 (11代)

箱根八里には急坂を越えるため、「間の村(あいのむら)にある茶屋以外

にも坂の上下などに人馬が一服できる立場茶屋が設置されていた。

江戸時代後期の箱根東坂には、9ヵ所に13棟の立場小屋があったが、

現在は此処のみ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 




 

 

 

 

仮名手本忠臣蔵 (かなでほんちゅうしんぐら)

人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつで、赤穂事件を題材としたもの

 

 

 

大高 忠雄(おおたか ただお、寛文12年(1672年)-元禄16年2月4日1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士赤穂浪士四十七士の一人。本姓安倍氏家紋は丸に三盛亀甲花菱。通称は源五・源吾(げんご)。また、子葉という雅号を持ち、

俳諧にも事績を残した・・

 逸 話

大高忠雄が江戸下向しようとしている道中、団蔵というヤクザ者の馬子が

「馬に乗れ」とからんできた。忠雄は断ったが、腰抜け侍と見て調子に乗った団蔵は「詫び証文を書け」と因縁をつけてくる。大高はここで騒ぎになるわけにはいかないと思って、おとなしくその証文を書いた。これを見た団蔵は腰抜け侍ぶりを笑ったが、

その後、赤穂浪士の討ち入りがあり、そのなかに忠雄がいたことを知った団蔵は

己を恥じて出家の上、忠雄を弔ったという

大高の詫び証文が三島の旧本陣世古家に所蔵されて現存している。

しかし、これらは後世の創作といわれている 

東海道五十三次 

東海道五街道*のひとつで、江戸日本橋から西方沿海の諸国を経て京都三条大橋に至る約500kmの街道である。幕府はこの沿道を総て譜代大名の領地とし、

53の宿駅(しゅくえき)を設けた。

この街道筋の風物を描いた歌川(安藤)広重葛飾北斎らの絵は有名である

 

五街道東海道中山道日光街道甲州街道奥州街道

 

この街道筋の風物を描いた歌川(安藤)広重葛飾北斎らの絵は有名である

継飛脚幕府の公文書を無料でリレー運送するもので、

一人が黒漆塗りの御状箱をかつぎ、他の一人が肩代わりとして

夜は高張提灯を持って500kmを二日で走った  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PS
此方は、御坂峠の「天下茶屋

秋の旧甲州&甲斐路ツー いざ御坂峠から絶景の天下茶屋へ ^^!

                                                                            

 

 

 
 

冬が来る前に 飛越地方合掌造集落 飛騨高山・白川郷・五箇山 紅葉ツーリング ➉ 越中西街道:天生峠を越えて やっと来ました 白川郷 ^^! ブログ&動画

前回
 
2016.11.4
越中東街道から越中西街道へと再び岐阜
 高山本線宮川と共に角川までV字谷路を西に向かう 
  天生峠は、あと数日で、一年の半分を雪に閉ざされ冬季閉鎖となる
   世界遺産合掌造り集落で知られる白川村は、峠の向こうだ 
 
 
動画編
 
タイムライン
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13:30 猪谷から神通川と別れ越中西街道
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飛騨の重要な街道として整備された
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清流 宮川の流れを眼下に見ながら進む 
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岸には巨岩奇岩が見られる 
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川の所々には深淵が、
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檜ヶ淵などの伝説のある美しい淵がある 
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紅葉はたいへん美しい 
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飛騨市世界遺産合掌造り集落で知られる
      白川村を最短で結ぶ国道360号線天生峠
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に至る道は狭く急坂急カーブが連続する山岳路 
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元々地盤が弱いため無雪期も度々崖崩れによって通行止になる事が多い
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閉鎖期間例年11月半ば~5月末だが、今年は、少し長めだ 
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一帯にブナをはじめとする落葉広葉樹の原生林が広がる 
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岐阜県天然記念物に指定されている天生湿原などの高層湿原が点在
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語り部である僧侶がかつて旅をした地として、天生峠が登場する」 
 
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    ( ゚Д゚) 
 
 
 
 
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・・・・あぁ・・よかったw
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周辺は深い峡谷になっており、昼間でも薄暗いのだ 
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   ・・やっぱり凄いね 世界遺産合掌造り集落 
 
PS
 鎮魂の日々
 72年前の 東京大空襲 空襲としては史上最大規模の大量虐殺
 3月10日の空襲だけでも罹災者は100万人を超えた

 https://ja.wikipedia.org/…/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A…

 あれから6年 東日本大震災 日本周辺における観測史上最大の地震...
 https://ja.wikipedia.org/…/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A…
 避難者等の数は174,471人 経済損失額としては世界史上1位
 絶対に忘れない ・・明日で六年が、過ぎます。
 
   謹んで ご冥福をお祈りいたします。
 
 

2016 北海道ツー 5日目 ③ 積丹岬:島武意海岸 余市:ニッカウヰスキー 小樽:歴史的建造物街へ ^^! ブログ&動画

前回
 
2016.8.2
積丹半島のもう一つのにある美しい島武意海岸 
     余市ウヰスキーの香り高いニシン弁当に舌鼓 
          小樽歴史的な建築物の残る街歩きにニンマリ 
 
動画編
 
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               神威岬より積丹岬を望む
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地名はアイヌ語の「シュマ・ムイ」(岩の入り江)に由来する。積丹岬の突端から1kmほど東側に位置し、断崖絶壁に囲まれながらわずかな浜辺を有する
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暗いトンネルを抜けると、明るいシャコタンブルーの海が目に飛び込んできて、
絶景が一気に広がります 
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多くの奇岩と海の透明度の高さで知られ、日本の渚百選 
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カモメオオワシなどの鳥類のほか、冬季にはアザラシも観察できる 
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          社名に使われている歴史的仮名遣の「」は、Whiskyの「wi」の発音に
          近いからという竹鶴の拘りによる
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寿屋サントリーホールディングスサントリースピリッツの前身)でウイスキー製造に従事していた竹鶴政孝が、よりスコットランドに近い気候の北海道で、よりよい
ウイスキー作りをするために退社し、資本を集めて北海道余市で創業した
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1940年(昭和15年)にウイスキーの出荷を開始。製品はリンゴジュース
商品名「日果」をカタカナにし、ニッカウヰスキーと名づけられた
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ウイスキーは統制品となり、大日本果汁海軍監督工場となった。
当時スコッチウイスキーの国内最大の消費者は帝国海軍であったが、イギリスからのウイスキー輸入が途絶えたため、日本国産ウイスキーへの需要が高まった。
このときは将校への配給用の酒を製造するために優先的に原料の大麦が割り当てられたため、事業の継続が可能となった
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1987年製造分が2008年WWA(ワールド・ウイスキー・アワード)
 世界最優秀賞 (WORLD'S BEST SINGLE MALT WHISKY) を受賞 
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インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ2015」にて、優れた酒造メーカー1社に
のみ贈られる “ディスティラー・オブ・ザ・イヤー” を受賞  
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マッサン - 2014年度下半期NHK連続テレビ小説
創業者竹鶴政孝と妻リタが主人公のモデル。「北海道果汁株式会社」、並びに
ドウカウヰスキー」はニッカウヰスキーの前身「大日本果汁株式会社」をモチーフ
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ウイスキーは製造開始から出荷まで数年かかるため、最初期は余市周辺の特産品であったリンゴを原料に、リンゴジュース(商品名は日果林檎ジュース、のちに敵性語排斥によって日果林檎汁に改名)、リンゴワイン、リンゴゼリーなどを製造・販売していた。しかし、創業者竹鶴の品質へのこだわりはリンゴジュースにも及び、高価な果汁100%ジュースしか出荷しなかったため、あまり売れなかったという 
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本社ビルの地下1階には直営バーとして「ブレンダーズバー」があり、
ニッカブレンダーの手によるオリジナルブレンドウイスキーや、ブレンド前の
キーモルトシングルカスクウイスキーなどが常時提供されているほか、
テイスティングイベントも多く開催されている
 
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バイクなので、、まさか 試飲する訳にもいかず・・
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・・思いがけなくいただけた 「ニシン弁当」 ウマウマ 
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小樽市の名は、アイヌ語の「オタ・オル・ナイ」(砂浜の中の川)に由来
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古くから北海道有数の港湾都市として発展してきた。札幌市から約40 kmの距離
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小樽市は北海道では古い歴史を有しており、慶長年間には松前藩
商場(あきんば)が置かれていたとしている
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明治になり蝦夷地北海道と改めて本府を札幌に定めると、
海の玄関口である小樽ヒトやモノが集まるようになった 
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1880年明治13年)には北海道内初となる鉄道手宮 - 札幌間に開通 
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軒並み美味いもん屋さんが、続くが、ナントイッテモ
   市内に100店舗以上を構える寿司の街として知られる 
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小樽港道内各地への開拓民の上陸や物資陸揚げの港となり、昭和初期にかけて金融機関船舶会社商社などが進出して北海道経済の中心都市として発展
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戦後ニシン漁の不漁の喪失石炭需要の減少、道内他都市の港湾施設整備などによる卸商が衰退し、札幌市が北海道の中心都市として発展すると
小樽市は衰退の一途を辿るようになる 
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運河論争」を機に明治後期から昭和初期にかけての歴史的建造物
観光資源として見直し、観光都市として脚光を浴びるようになった 
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三市区連携

平成19年度から古くは運河でつながっていた石狩市札幌市手稲区と連携事業に
取り組み、相互交流を図っている 
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姉妹都市ロシアの旗 ナホトカニュージーランドの旗 ダニーデン韓国の旗 ソウル特別市江西区

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16:00

  折角なので、ゆっくりと山の手まで、歩いてみよう 
 
 
 

 

桃の節句とちらし寿司+娘のローストビーフが、これまた絶品  恒例の家族麻雀で・・ぼろ負け ^^! ブログ 

前回
 
今年も雛様には、和ませて頂きましたよ 
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毎年、母娘で、飾りつけして楽しげだ 
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今年は、息子も手伝って片付け終了 
 
ランチは、もちろん手造りパンで、
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オリーブオイルとの相性は、抜群 
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チョイト・・メロンパン風だね
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新作のナッツチョコレートデザート 
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此も手造り「栗羊羹」、なかなかのもの 
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夕方になるとチョイト寒くなるので、犬達は、ストーブから離れないけどね 
 
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・・おや 何か始まった と犬達が、動き出す 
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今夜は、母娘で、夕飯の創り込み 
      家内は、得意のやはり「ちらし寿司」
 
息子が、感心するほどの手際が良く
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先ずは、表面を焼いて・・
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・・余熱 料理とかで、ほったらかしなのだが、
玉ねぎとニンニク等々のタレが、自慢 食欲を煽る いい匂い
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そこいらのホテルローストビーフなど相手にならないほどの出来上がり
ジャスト柔らかさと焼け具合
  いゃ~ぁ 
      恐れ入りました 
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今年もいいご縁が、有りますように」と 
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先ずは、「あまざけ」で、乾杯 
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先日の初ツーに出かけた際の土産物
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      刺身もロースとビーフも・・美味さ引き立てるね 
 
牡蛎の蒸し焼きや 
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蛤のお澄ましも・・美味しいね 
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さぁて
 我が家は、たまにしか全員が揃わないので、こんな時は、、
 
家族マージャンは、 正月「三が日」・・以来だ
・・思い出すと 身の毛もよだつ・親の役満放銃 のトラウマ 
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軽く半荘にて終了 
 
   ・・・ヤッパリ
 
       今回も ハコテン憂き目に合いました 
 
・・もう暫くで、季節も活気を増します
  皆んな健康には、十分留意して活躍してくださいね 
 
お土産家内クッキーパン 
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  まぁ・・家庭麻雀は、年間トータルでの勝負なので、
 
   次回は、手抜かりしないように頑張ります 
 

 

早春の箱根・伊豆ツー ① 旧東海道 畑宿寄木細工と一里塚 箱根八里の七曲り・まさかの橿木坂 甘酒茶屋で一服 ^^! ブログ&動画

前回
 
2017.2.25~26
例年なら伊豆の河津は、満開の桜見物で、大混雑の筈 
 だが、、今年は、既に2月中旬にピークを迎えて かも・・ 
 
マァ・・寒い中 セローで、毎週のように都内を散歩ツー程度で、
 少々・・ムズムズして来ていたこの頃、
  いいタイミングで、箱根・伊豆へ出かけることに相成りました
   足慣らしの心算で、ノンさんと初ツーとなりましたよ 
 
動画編
 
タイムライン
6:45 ローソン東京学芸大学前店にてノンさんと待ち合わせ合流 
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初ツーなので、防寒対策済みのセローで、
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ズンズンと真っ白な富士山が、近づいてくるね 
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高速は、寒いねぇ 手も痺れるし ¥100コーヒーが、美味い ☕
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さてさてこれから始まるノンさんルート 
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 先ずは、旧道へ・・
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温泉井戸が、アチコチに立っている 
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お年寄りが、多いね 
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先には, 箱根新道須雲川ICがある
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旧街道の両側に1対の塚がきちんと残されている。
   但し、ここは発掘調査をして、当時のままの大きさ、構造で再現されたもので
   山の斜面にあるため、周囲を切り土し、盛り土と礫で平坦面を作り、
   その上に土を盛って、頂上に目印用と日陰用の樹木を植えたもの 
 
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 一里塚の間の旧街道は石畳となっている。街道は2間幅(3.6m)で、
 石畳は1間幅(1.8m)に作られている。
 現在残っている石畳は、文久3年(1863年)2月、孝明天皇の妹和宮内親王が、
 14代将軍家茂のもとに降嫁されるにあたり、その前年の文久2年に改修工事が
 行われたもの しかし、和宮内親王は、今切りの渡し(浜名湖の名称が好ましく
 ないとの事で、東海道を通らずに中仙道を通る事になった
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  県道、湯本元箱根道
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橿木坂
  県道沿いの歩道を少し歩くと、旧街道はまた階段となる。
  もと橿木(かしのき)坂と呼ばれていたところであるが、崩落し、
  今は急な階段となっている。
  橿木坂は、「新編相模国風土記稿」に、
  「高く険しい崖に橿木あり、故に名を得」とある。
  「東海道名所日記」には、険しきこと道中一番の難所なり。
  おとこ、かくぞ詠みける。 
  「橿木のさかをこゆれば、くるしくて、どんぐりほどの、涙こぼる」と。
 
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唱歌「箱根八里」に唄われている「羊腸の小径
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旧街道には、沢に架かる木の橋 甘酒橋を渡って
猿滑坂
  「殊に危険、猿猴(えんこう)といえども、たやすく登り得ず、よりて名とす
     西海子(さいかち)坂橿木(かしのき)猿滑
  旧東海道きっての急坂といわれていた 
  更に 追込坂 と続き笈ノ平(おいのたいら)へ至る
   
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    箱根旧街道資料館には、とても興味深い発見が、、