前回
2016.11.2
・・をテーマに3泊4日の旅に出ました
其の①は、中央道:調布ICから飛騨高山市街の宿:喜三郎屋まで、、
動画編
タイムライン
11.2 本日のルートは、単純な工程なので、
ゆっくり目に出ると・・
あちゃ---恒例の通勤渋滞だ
曇天空模様
・・しかしながら 天気予報は、的を得ていたね
何処で休憩しようかと・・今まで入ったことのないSAへ
展望台に上ると 四方の山々が、いい眺めだ
いつもなら お決まりの「天玉そば」というところだが、
焼きたてパンのいい香りに誘われて
誰もいないテラスで、、
この景観は、定番で、いよいよ信州だね!
なんだか ポツリポツリ きたり 薄ら寒いし
電熱ジャケット&グリップヒーターが、活躍
後ろの オレンジ・ハーレーは、九州からの一人旅
しかし 何度も飛騨には、訪れていて同じルートを行くようだ
皆さん、気ままなソロなんですね ヤッパリ同年代だね
早く着いたので、ゆっくりと野麦街道を行くことにした
今回は、同行のノンさんとは、2日後に合流して
11/5 午後 解散し小生は,帰路に ノンさんは、郡上方面へさらに1日周遊する。
トンネルや大型車が、多くて低速ペースだが、
山間部の秋をゆっくりと感じさせてくれる
信濃側からは「ひだ道」と、飛騨側からは「ぜんこうじ道」と呼ばれる。
高山・松本間の街道中におかれた番所は、飛騨側に上ケ洞口留番所、
信濃側に川浦、大白川、橋場の4か所であった。この4番所は、
その領分境でそれぞれの掟を通そうとした。
また、番所は五街道に置かれた関所にならったもので、
「入り鉄砲に出女」の政策を引き継ぎ女性の通過には厳しかった。
南安曇郡安曇村稲刻(いねこき)・野麦街道の重要な宿
天然の9ヶの風穴あり 蚕の種の保存に最適な天然の冷蔵庫として使われた。
トンネルの中で分岐している
飛騨の女工が野麦街道を通ったのは、年末年始と盆の2回の休暇に、親が待つ
家に帰るために往復したものであり、その時期に限られていた。
なくなったのです。
耕地が少ないので江戸時代から明治末期まで奈川の牛稼とよばれる牛による
荷運びを業とする者がいた。が、鉄道の篠ノ井線が開通して急速に衰えた。
入山・角ヶ平宿は奈川渡ダム梓湖の下.村の中心は古宿のあったところらしい
縄文中・後期の荒海渡遺跡など遺跡が多い。中世には西牧郷といわれ,
西牧(滋野)氏の一族が支配し,金松寺山の東麓には西牧氏館跡がある。
南安曇郡安曇村 飛舞山脈中の村で,村域のほとんどを山林・原野が占め,また半分以上が
〈日本の尾根〉と呼ばれる高山の集まった日本有数の山岳観光地である。
耕地が少なく,高冷地であるため農業は振るわない。
これらは総称して安曇3ダム、もしくは梓川3ダムと呼ばれる。
奈良井川を合流させる手前から上流部は梓川と呼ばれ、急しゅんな地形から
安曇三ダム(上から奈川渡ダム、水殿ダム、稲核ダム)
前川渡隧道と木賊隧道のごく短い間に長野R84前川渡交差点が交差しており、信号機も設置されているが、トンネルの間の交差点のため右折車線はなく、
木賊隧道からは一旦前川渡トンネルを出た先でUターンしてから改めて
左折しなければならない。
自らの出身地である安房国より命名したと伝えられる。
いるため、かつては国道158号の長く狭隘なこの峠道に交通が集中していた。
観光ルートが誕生した
平湯温泉は秘湯から「観光交通の要衝に位置する温泉地」へと変貌しつつある
先ずは、宿へ
ホォ・・ここが、あの朝市が行われている通りか
でも 余り人通りが、多くないねぇ
あれ・・ずいぶんと寂しい感じだけど
明日は、祭日なので、、、賑わうのかなぁ
繁華街の中と思っていたけどね
15:30 今夜の宿に到着
鍵のかかっていない玄関から・・挨拶を何度もしても返事がない
仕方がないので、バイクの荷物を解いて・玄関先において
更に・ジャケットやブーツなどを脱いで、
スッカリ
街歩きの服装に着替えたが、